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原発事故「起こる」前提に教訓生かす [原発事故]

3年経った。

事故から。そして避難と移住から。

事態は、予想した通りに動いている。

今回の福島原発事故で、最も恐ろしい期間は、爆発から10日ぐらいの間だった。

そこで、今後起こるべきこともほぼ決まった。

「神風」が吹いたので、東日本が壊滅するような汚染は逃れた。

だから、「急性放射線障害」は目に見える形では起きなかった。

ということは、「晩発性障害」も「低線量被ばくによる健康被害」も、それに比例して「目に見える形では起きないだろう」と僕は予測した。

いやもちろん僕も「起きている」ことは分かっている。

しかし、いわゆる「隣の人がバタバタと倒れるような」「目に見える形で」は起きていない。

(そう見えるとすれば、twitterやブログなどネットによって突然死などのデータが集約されるからだろう。反対に『全く何も気にしてない』twitterやブログの数と比べてみればいい)

そして、原発を推進する人間も、容認する人間も、気にしない人間も、「目に見える形で起きない限り」、それを『起きる』とは呼ばない。

だから、彼らにとっては、今回の事故に関して言えば、永遠に「原発事故による健康被害は起きない」ということになるし、実際そういうことになっている。

つまり、これほどの「原子力災害」「過酷事故」が起きても、結局「健康被害は起きなかった」というのが、彼らが、この福島原発事故から学んだ「教訓」なのだ。

恐ろしく単純なことなのだ。

原発事故が起きて、例えば100人の村の癌死が1人から2人に増えて、心筋梗塞が5人から7人に増えて、脳梗塞が3人から6人に増えたところで、91人いた健康な人間の数はいまだに85人もいるのだから、「全体としては健康」なのだ(例えその中の30人が原因不明の体調不良に悩まされていても)。

「健康被害が起きた」と認定されるのは、社会活動に従事出来る程度に健康な人間が50人を下回ったりした場合だろう。

今後30年ぐらい、放射性プルームを吸い込んだ人間の追跡調査をすれば、そういった統計も出るのかもしれないが、まず不可能だろう。

どの道、死因や病因は「特定不可能」なのだから、今回の福島原発事故による健康被害は「知りようがない」ので、そういうことなら、「また事故が起きたって大丈夫」と彼らは思っている。

たしかに今後必ず「原発事故は起きる」だろう。

だから、推進派は言い方を変えて来た。

「事故は起きる。だけど、起きてもたいしたことない。だから次は逃げなくていいし、逃がさなくていい」

転んでもただでは起きない。

反省するどころかさらにずうずうしくなって息を吹き返して来た。

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下のニュースで奇妙に感じる部分。まず、

「原発事故の本質は避難させられたことで人々が亡くなっていることだ」

というところ。

これは「本質」を「死」と同義にして、「急性放射線障害で人が死んでないから、この事故はたいしたことなかった」という事故直後から繰り返されて来た推進派の紋切り型の口上だ。

心筋梗塞による死人がちょっと増えようが、子供の甲状腺異常が増えようが、今後5年10年と出生率が下がって病人が増えようが、それは「原発事故による直接的な死」ではないから関係ない。

だから「逃げない方がマシ」と言う。

原発推進派にとって一般市民など、被ばくしても「即死」さえしなければ、じわじわ死んでくれる分には痛くもかゆくもない、電気代と税金を搾り取るための虫けらのような存在なのだろう。

そう考えているのでなければ、こういう形での「開き直り」はできないと思う。

そしてもう一つは、アメリカ合衆国原子力規制委員会前委員長のグレゴリー・ヤツコ氏の2013年9月の話。

「『原子力発電所では事故が起きるもの』だという前提で私たちは議論を進めなければならない」

と言っておきながら、

「いかなる事故であれ、ただの1人も避難させるということがあってはならない」
「原子力設備以外の土地を汚染する、米や麦などの主要穀物を汚染する、などということがあってはならない」

そのために、「世界中の原発でそのような安全基準を求めなければならない」

と言う。

「『事故が起きる前提』で考えて安全対策すれば『一人の避難者も出すことはない』」だから「事故は防げる」

と言うことだろうか?

「原発事故は起きる」だけど本気でがんばれば「原発事故は防げる」

と言うなら、単純に「だから事故は起きない」と言ってるのと変わらないじゃないか。

こういう自己矛盾した「詭弁」はまったく推進派の常套句で、形を変えて同じことを言う。

しかも

「もう1つ重要なことは、市民の側が行動を起こし、関与していかなければならないということです」

とか何とか、まるでICRP勧告の「自助努力」よろしく、

「放ったらかしに国や電力会社にやらせておいたおまえらにも責任あるだろう。だからこれからはちゃんと監視しろ」

といわんばかりだ。

「一人の犠牲も避難者も出してはならない」と本気で思うなら、こういう論理学的に意味不明な文言など並べ立てられるはずがないだろう。

正直に「原発事故は起きるし、避難者も出るし、土地も汚染される。だけどそれもみんなおまえら自分たちの責任だから我慢しろよ」と言えばいい。

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今その100人の村で、健康な人間は85人もいるが、今後それは70人、60人と減少していくだろう。そこで健康を害して行く人間の多くは現在の「子供たち」だ。

それでも60人も健康な人間がいるのだから、「健康である確率の方が高い」と考えられる人間は、避難も移住も必要はない。

それが電力会社と国の考えることなのだから、胸を張って国家に身を捧げて、彼らが望む通りに、一市民として「我慢」すればいいと思う。

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原発事故「起こる」前提に教訓生かす(NHKニュース 3月10日 22時27分)

東京電力福島第一原子力発電所の事故から11日で3年となるのを前に、事故の調査や検証を行った政府、国会、民間の3つの事故調査委員会のトップが討論会に参加し、「事故は起こる」という前提で3年前の教訓を生かすよう訴えました。

討論会には、福島第一原発事故の調査や検証を行って報告書をまとめた、政府、国会、民間の3つの事故調査委員会のトップが参加しました。
まず民間事故調の北澤宏一元委員長が原子力規制委員会について、「形のうえで政府から独立したが、政治や経済に左右されず国民の安全を守ることだけを使命としていけるかは未知数だ」と述べたうえで、その役割の大きさを指摘しました。
また、政府事故調の畑村洋太郎元委員長は原発の運転再開を巡って「原発事故の本質は避難させられたことで人々が亡くなっていることだ。原発の安全対策を強化しても事故は起こるという前提で、避難の計画を確認すべきだ」と述べ、3年前の教訓を生かすよう訴えました。
そのうえで国会事故調の黒川清元委員長は、企業や社会でものが言いにくいために問題が見過ごされたことが3年前の教訓だとして、「一人一人がおかしいと思うことに見て見ぬふりをせず、何ができるかを考えることが重要だ」と指摘しました

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9月23日に特定非営利活動法人原子力資料情報室の主催で開かれたグレゴリー・ヤツコ氏の講演

「原子力発電所では事故が起きるもの」だという前提で私たちは議論を進めなければなりません。そのような基本を認めなければオープンな議論はできません。いつ事故は起きるのか、どのくらいの規模で、どのくらい深刻なものになるか、は予測がつきません。けれども、どこかのある時点で事故は必ず起きるものだということです。

残念なことに原子力の業界では、原子力は技術的に安全なもの、決して事故は起きないとされてきました。原子力業界に携わる企業の行動は、事故は起きないという信仰の域に近いものがありました。

事故が起きると安全システムに対して何らかの修正・変更・改善を加えようという動きが出てきます。しかし、本来なすべきことは、原子力の安全性に対する根本概念を見直すことにあるのです。

(...)

これらを踏まえて私の意見を述べると、原子力発電所はまず安全性に関する基準を満たさなければなりません。この新しい基準は、福島第一の事故が私たちに教えるところの教訓に合致したものでなければなりません。いかなる事故であれ、ただの1人も避難させるということがあってはなりません。また原子力設備以外の土地を汚染する、米や麦などの主要穀物を汚染する、などということがあってはなりません。日本だけでなく、世界のどの国の原子力発電所であってもそのような安全基準が求められていかねばなりません。

私たちは日本で起きた悲劇から学ぶという機会を生かさなければなりません。もう1つ重要なことは、市民の側が行動を起こし、関与していかなければならないということです。今度は皆さんが公職にある議員、首長、政府などに働きかけて、討論の場を設け、説明責任を求めていくことが求められています。

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