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「放射能は薄まればたいしたことない」という信仰 [被曝]

ここ数日低線量被ばくについて考えて来て、

遅ればせながら、ようやく今回の福島原発事故による放射能問題の核心に気が付いた。

何で今まで気が付かなかったんだろう?

それは「放射能は危険か?危険じゃないか?」の議論じゃないんだ。

原発推進派だって放射能たいしたことない派だって、

「放射能は危険です」

とはっきり言うのだ。

問題の核心は、

「低線量被ばくによる健康被害は存在するか?しないか?」

であり、

国はそれを、

「存在しない」

と疑いを持たずに断言しているのだ。

それはもはや「信仰」みたいなもので、この低線量被ばく問題は、「科学論争」ではなく、その信仰対象を巡るほとんど「宗教戦争」に近いものなんだと思う。

僕は今まで、

・低線量被ばくは危険であることは国も電力会社も分かっている

・それを認めれば、広大な地域を避難区域にしなければならず、その補償によって国家が崩壊してしまう

・しかし加害者にとって幸いなことに、低線量被ばくと健康被害の因果関係は科学的に証明できない。

・それをいいことに、国は自己保身のために腹を決めて「低線量被ばくによる健康被害は考えにくい」と意図的に嘘を突き通すことにした。

、、、そんな風に考えてきた。

さらにその結果として健康被害が全国で平均化すれば、福島だけが突出することもなくなるから、補償を最小に抑えることができる、と。

そして多くの反原発派はそう考えていると思う。

だからネット上で「国はバカだ」「国は国民の健康よりも経済を優先した」「国民の命を犠牲にして自分たちの利益を守った」「国は嘘をついている」「電力会社、官僚、政治家、御用学者は悪を認識しながら、ごまかせると踏んで犯罪行為を続けている」と国を責め続けてきたのだ。

しかし、彼らは「嘘なんてついていない」んだ。

それどころか、

「低線量被ばくによる健康被害は存在しないと、心の底から信じている」

そこなんだ。

その「一点」だ。

それを「心の底」から認めてしまえば、後は霧が晴れるように、さーっと目の前に道が開ける。

己を苛み続けた忌まわしい原発事故が忘却の彼方に消え失せ、まるで絶望的な病から回復した後の歓喜が全身を包むように、未来へ向かう意気揚々とした活力がみなぎってくる。

この放射能不安からの解放。

原発災禍における自己啓発。

全てをひっくり返す魔法の信念。

見えない原子核の不確定性に捕われた心の「解脱プロセス」。

それらのカギがそこにある。

さあ、唱えろ。マントラのごとく何度も、何度も繰り返して、心の中で叫べ。

低線量被ばくによる健康被害は存在しない、、、低線量被ばくによる健康被害は存在しない、、、低線量被ばくによる健康被害は存在しない、、、

低線量被ばくによる健康被害は存在しない!

何度でも言う。

それは「存在しない!」

「存在しないんだよ!!」

ああ! 俺はとうとう救われた! 俺には何も起きない!

そして俺の家族にも! どこにも! 誰にも! 何も起きない!

全ては今まで通り、あるがままの輝きに満ちている。

生きること、このすばらしさ。

命万歳!

そうだ、だから、何も恐れるものはない。

「存在しないもの」を怖がってどうする?

がれきも、食品も、広げれば広げるほど、薄めれば薄めるほど、

それは「消える!」

消えて「なくなる!」

だから、広げよう。

そうだ、薄めよう。

100ベクレル/kgの食べ物を、一人で全部、一度に食べることなんてないだろう?

それだってたいしたことないのに、それを100人で10gずつ分けたらどうなる?

たった1ベクレルだ。

つまり「0」だ。

福島原発から1日2.4億ベクレル漏れてるって?

なーに、それがもし日本中にばらまかれたって、日本人全員で分ければ、一人当たりたった2ベクレルじゃないか?

つまり「0」だ!

誰も苦しまないし、誰もそれが原因で病気になんてならない、、、そしてみんなが幸せになれるんだ、、、。

え?

「0」じゃないだろうって?

君はまだ分からないのかい?

だまされていたんだよ、俺たちは!

いいかい、見てみろ、地球誕生から46億年、生命が生まれてから35億年、世界中放射線に満ちあふれて、俺たちはその中で、「放射能まみれ」で生きて来たんだ!

そこで耐え抜く力を備えているからこそ、今ここに俺たちは存在するわけだ。

つまりこういうことさ。放射能なんて、水や塩と同じなんだ。

君の体の70%が水で出来ていて、その0.85%が塩分だ。

水分も塩分も生きるために絶対に必要だが、だからといって1度に100リットルや100kgの塩を摂取したら、そりゃ人間は死んでしまうさ。

だけど、1日に必要な量、例えば塩が1.5gだとして、そこで0.001gあるいは0.01g多く料理に使って、1.501g食べたからと言って、病気になるかい? ならないだろう?

水を1日に1リットル飲むのと、1.01リットル飲むので、何か違いがあるかい?

それと一緒さ、低線量被ばくってのは。

さらに言うなら、人体には元々放射性カリウムが6000ベクレル存在して細胞を破壊しているんだ。それでも細胞は自己修復するし、傷ついたDNAだって日々修復される機能を人間は持っているんだ。

まあガンになる時はなるだろうが、そればかりは運命、「神のみぞ知る」ってとこだ。

そこにセシウムが「数ベクレル」増えたからって、一体何が起きるっていう?

「何も起きない」

それが答え。

低線量被ばくなんて存在しないってのはそういうこと。

つまり人間が細胞レベルで認識し得る世界の限界において、

それは「0」なんだよ!

--------

もちろん本当の「嘘つき」や影の「悪人」は存在するのだろうが、こういった洗脳のような「安全神話」を官僚や政治家や国民の多くが信じ切って、心理的に「共有」して、国家全体が動いているんだと思う。

いや、「神話」とかじゃないな。

中途半端に合理的な、ご都合主義的効率主義、、、「立場主義的」思考というか、、、

おそらく個人的には勤勉に、0.0001のリスクが存在することを割り出しても、立場上「0」がよければ「0」にして、それを信じることができる。

全身に分散して存在し、細胞の自己修復機能とバランスを取っている自然由来の放射性カリウムと、臓器のある一カ所に蓄積して、集中的に周辺細胞やDNAを破壊し続ける人口放射性核種であるセシウムの違いを認識しても、立場を守るためだったら、都合良く主張をアレンジして疑念を取っ払い、「同じです」と断定できる「軽やかな」思考。

人類史上最悪の原発事故を経験したにもかかわらず、未来のためにそれを直視し、反省し、変革を遂げるための意志を継続することができない、幼児的な「こらえ性」のなさ。

「忘れること」を信条に、今ここの刹那的享楽に耽溺することでしか生を実感できない消費者的心性。

極めて日本人的思考が、この低線量被ばく問題に如実に表れている。

やはりそれを「改宗」させることは極めて難しいだろう。

だから、己の身は己で守る。

そして今まで通り、家族を第一に考えることにする。




低線量被ばくは放射能問題の核心 [被曝]

昨日書いた某「大学教員」の低線量被ばくとタバコの話は、原発事故直後から盛んに繰り返されて来た放射能安全派の紋切り型の例えだ。

そして、この例え話が意味を持つとすれば、

東日本全体がタバコの煙でもくもくになっちゃった」

っていう状況を想定しているわけだから、「放射能たいしたことない」という安全派の人たちも、多かれ少なかれ原発事故によって、

健康に影響を及ぼす可能性のある危険な放射能が広範囲に拡散した」

という事実は認めているんだと思う。

漏れて広がっちゃった、だけど

「薄まってるから大丈夫」って話をしたいのだ。

つまり、

原発推進派や容認派、放射能安全派の主張は、

「放射能は安全」ってことじゃない。

薄まれば安全」ってことなんだ。

「放射能」それ自体の問題で言えば、「危ない」んだ。

これはもう誰もが認めざるを得ない事実で、そうであるから原発の格納容器も原発作業員の防護服や防護マスクも存在する。

そしてこの点は原発推進派も安全派も認めているんだ。

反原発派はそこを取り違えてよく安全派にたいして、

「放射能が安全だ安全だって言うなら、福島原発の原子炉の中覗いてこい」

とか

「福島原発の隣に住んでみろ」

と言うが、すると彼らは、

「は?原発敷地内は危険って言ってますけど何か?」とすっとぼけるのだ。

放射能は「ごっそりまとまって存在すれば恐ろしい」わけで、

「薄まればたいしたことなくなる」っていうのが原発推進派の「錦の御旗」なんだ。

(それと同じで『食品汚染たいしたことないって言うなら600万ベクレル食ってみろ』とかも的外れな要求だ。むしろ安全派でなくても日本人のほとんどが近所のスーパーで普通に食材を選んで食っているのだから、彼らの『薄まれば安全』という主張は、日本中で日々実践されていることになる)

彼らの主張の大前提は「低線量被ばくは存在しない」ということだから、それは絶対にあってはならない。

試しに思考実験のつもりで、その大前提に立ってみよう。

とても恐ろしい展開になることが分かる。

「薄まればたいしたことなくなる」とするなら、がれき拡散も食品流通も何も問題ないどころか、逆に、拡散した方が日本はどんどん「安全になる」

「薄まっても何か問題が起きるんじゃないか?」と微塵でも思ったら、「ちょっと様子見た方がいいかも」と拡散を躊躇する。

しかし「薄めれば無害。薄めれば放射能は少なくとも人間の健康に影響を与えるレベルでは存在しなくなる」と確信するなら、「薄めよう、広げよう、除染しよう、食べて応援しよう」は汚染を広げるどころか、汚染を限りなく無害化していることになる。

これは僕が考えていた政府の態度、

「ごめん、どうすることもできないから、経済を優先して健康被害がちょっと出るの我慢して100ベクレル以下の食品流通させて補償しないようにして、がれき処理で業者儲けさせてくれ」

っていうのと全く別だ。

むしろ、拡散させることで後ろめたさを感じるどころか、

「日本をきれいにして、より安全にしている」と善行を施しているつもりなのだ。

つまり、もっとタチが悪い。

「薄まれば安心」という立場の人にすれば、危ないのは「濃い放射能がたっぷりある」強制移住区域の中だけで、その外であれば怖いものは何もない。

福島も関東も危険なものは限りなく元々「0」に近く、薄めれば薄めるほど完全に「0」になるのだから、もう「どんどん、どんどん拡散すればいい」ということになる。

「薄まっても危険」と考える人にすれば、怖いものは日本中にあふれ、それが福島原発に近くなればなるほど増大する。

だから「もっとも危険な場所である福島原発に全てを封じ込めろ」という主張になる。

まったく真逆の「確信」が、この原発事故、放射能に対する態度をまっぷたつに分けている。

低線量被ばくこそが今回の原発事故による放射能問題の核心だと思う。




低線量被ばくに備える [被曝]

あるブログコメント欄より。

「低線量放射線の健康影響については専門家の間でも論争がある」というコメントに対する某「大学教員」のコメント。

・(低線量被ばくの影響はほとんどないのだが)自称専門家が議論を吹っかけ続ければ、一応「専門家の間で論争になっている」という形にすることが出来る

・低線量被爆の議論は、タバコを1日100本吸ったら肺癌になることが疫学調査で認められているとして、1日1本ならどうなるか?という議論と同じ話

日焼け紫外線による細胞死だから、大量の日焼けは避ける必要はある。しかし1日3分外出するか10分外出するかで揉めている人がいたら「そんな細かいことは気にしなくていい」と言う

福島の避難勧奨地域以外の放射線量の増加はそういうレベルである

だそうだ。

原発事故さえなければ、ごもっとも、と思ったかもしれない。

だけど国も東電も原発事故を起こしてどうすることもできなくなって、そこで「放射能気にするな」と行政判断せざるを得なかったわけだから、それを擁護する「科学」って一体何?と思う。

子供はタバコ吸わないだろう、、、とか)

だから、このコメントにも低線量被ばくの「可能性」は暗に示されているわけで、僕はやはり対策を取ると思う。

この例え話で言うなら、

「1日1本のタバコ」も断固吸わない。

そして子供に「1秒でも」副流煙を浴びせない。

必要以上の日焼けは避けるし、日差しが強い日は子供にも日焼け止めクリームを塗り、長袖シャツを着せる。

別に対策でも何でもなく、ごく当たり前に日常的にやっていることをする。

しかし、この「大学教員」が想定している状況はもっと特殊なんだな。

また例え話を借りれば、

福島の一部がタバコ工場の大火災を起こしてニコチンまみれになって、そこから「副流煙」が流れて広大な地域を覆っているとする。

もうどうやったってその煙の中で生活するしかない。

するとそこで初めて「1日1本ぐらいタバコ吸っても死なない」みたいな話になる。

これを東京の人間が、「あの副流煙でみんな死ぬ。子供は特に危ない」と言ったとすると、

それに対する逆切れが出てくる。

「東京だって大気汚染で肺がんリスクは変わらない。子供もたくさん住んでるだろう。そこで1本2本のタバコ気にしてもしょうがない」みたいな。

そういう状況にみんなが巻き込まれて、もうみんな諦めて「吸うしかないか?」となっている時に、

「いや、俺は1本も吸わんし、1秒も子供に吸い込ません」と躍起になってる僕みたいな人間がいると、

「自分だけ助かろうとするのか!いやならここから出て行け!」

と村八分みたいなことになる。

この「大学教員」の例え話はそういった汚染状況に住まざるを得ない大量の人々を前提にしていて、その中で「1本も吸わん」と意気込んでる人間をたしなめているんだと思う。

「意味ないよ」とか「どこも同じぐらい汚れてるから無理するな」と。

だけど、統計上0.1%とか0.001%とか「健康被害のリスク」は上昇しているんだろうから、リスクを取り除くためにはむしろそこから逃げ出したり、可能な限り汚染されていない食品を選んだ方が、科学的には「正しい」ことになるんじゃないか?

それにいつもそうだが「ガン」に影響を限定するけど、「ガン」を1人過剰発生させるリスクがあるなら、それ以外に数人数十人が「肺炎」や「ぜんそく」を発症するリスクもあるのではないか?

それを「意味がないから気にするな」っていうのは、そこに「留まらざるを得ない住民」に対して国や自治体がする行政的なカウンセリングみたいな話で、科学とは別なのだ。

だけどおかしいのは、その事故が自然災害と同じで「しょうがない」と諦めなければいけない話になっていて、大火災を起こした工場の責任を問わないことだ。

原因がすり替えら得れて認識がずれまくって、「気にする」「気にしない」で住民同士の対立が激化する。

「低線量被ばくは存在しない」と主張する人は、「気にする人」を攻撃する時は、「この放射脳め!とっちめてやる!」とまるで自警団のように勇ましいのに、東電の責任問題になると「専門家におまかせします」と途端に小さくなる。

被害者のケアと事故責任の追求は同時に行われなければならないのに、「もう原発事故のことは考えるな」と言わんばかりのその「慰め」は、原子力産業や電力会社を擁護しているとしか思えない。



強制避難区域の低線量被ばく [原発事故]

「強制避難区域」はそこに立ち入ったらただちに急性放射線障害になるような場所ではない。

「住み続けることで継続的な被ばくをするとやがて明らかな健康被害が出る」という意味では「低線量被ばく」が問題となる場所だ。

そこに住んでいても「ただちに影響がある」わけではないのだから、強制移住などさせなくてもよかったはずだ。

原発事故からの避難者が避難生活中に亡くなったことで、「避難などさせる必要はなかった」と言う安全派がいるが、国は「原発関連死」で亡くなる方を出してでも、「強制避難区域」を作らざるを得なかったのだ。

彼らはリスクとベネフィットを鑑みて(コストとベネフィットか)、住民を放射能汚染地帯に留まらせて何割かに健康被害が出る方がマシ、と「行政的判断」を下すこともできたし、程度の差はあれ「放射能による健康リスク」が広がっている大都市ではその選択をした。

しかし「強制避難区域」だけは別で、そこに人が住み続ければ放射能の影響が隠し通せないほどはっきりとした形で健康被害が出てしまう。

つまり、強制避難区域は「ある一定量以上の継続的な低線量被ばくは健康に影響を与える」と国も認めざるを得ない場所なのだ。

その『ある一定』がどれぐらいのレベルなのかは別にして、そこに放射能のリスクは科学的に厳然と存在している。

だから、自主避難した人はその「行政的判断」には従わなかったが、代わりに、国家の科学的知見は正しく理解しているのだ。

(かなり楽観的で『安全寄り』の見方だとは思うが、その国ですら低線量被ばくの危険性は認めているということだ)

それゆえ国は、住民の健康を守るなどという理由ではなく、原子力への負のイメージを作り出さないためにも、強制避難区域など作りたくはなかった。

「警戒区域」「帰宅困難区域」「居住制限区域」「避難指示解除準備区域」と、やたら細かく区切って住民を引き戻そうとするのは、補償を打ち切るのもさることながら、国はできればこの「低線量被ばくの健康への影響」をないものにしたいからだろう。

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「この日本に放射能汚染による強制移住区域が存在する」

その事実だけで、原子力は否定されるのに十分なのだ。





避難と死 [原発事故]

原発爆発から2年。

もうすっかり全てを忘れた人が9割9分。

1%ぐらい(0.3%ぐらいか)の人が、あの日を境に全てが変わって、「変わってしまった日常」をずっと生きている。

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原発 福島に負の連鎖 県外避難5万7000人(東京新聞 2013年3月11日)

この記事を読んでいて、少しおかしなことに気が付いた。

福島宮城岩手の被災三県で、津波や建物の倒壊といった震災の直接的な原因で亡くなった方のうち、

福島の人は10%。

それが震災後の関連死2554人のうち、

福島の人は1337人で52%になる。

そしてその9割が66歳以上だという。

つまり、避難途中、避難生活中に亡くなった年配の方が福島では多い。
この数字の異常さこそ、原発事故の恐ろしさを示している。放射能で身体をむしばまれる死だけが、「原発事故による死」ではない。
と、福島の震災関連死が多いのは「原発避難」が原因だ、という論調で、別に間違ったこと言ってないように見える。

しかし何か変だ。放射能の影響について一切触れられていない。

例えば、「福島の震災関連死は5割に跳ね上がる」と言うが、

今年2月現在の避難者数は、

宮城 11万7000人
岩手 4万2000人
福島 15万4000人

宮城・岩手合わせて15万9000人で、福島15万4000人。

だから「震災関連死」が半数でも何らおかしくないじゃないか。

すると、

「宮城、岩手は県内避難が大半なのに、福島は5万7000人が県外避難をしている」

とあたかも「福島の避難者の多くは、住み慣れた地元から全く離れた場所で生活せざるを得ず、そんなストレスだらけの生活を2年も続けているうちに年配の人がたくさん亡くなってしまったのだ」と言いたいかのようだ。

しかし同記事のこのグラフを見ると、

PK2013031102100086_size0.jpg

おそらく1年目は、震災直後に病院からの避難や持病の悪化などで亡くなった方が多いのだろうが、

事故後2年目の震災関連死は宮城で減っているのに、福島はあまり変わらない。

仮設住宅暮らしなど県内も県外もあまり関係なく「ストレス」がたまると思うし、岩手も県内避難者がほとんどなのに関連死は減っていない。

これを「福島は県外避難者が多いから」という理由にするのはちょっと無理ではないか?

最初何も疑わずに「そうだ、そうだ、避難者も原発事故の犠牲者だ」とうなずいて読んでいたが、

これは一見反原発風の、「ひねり」の効いた「サブリミナル御用記事」だ。

東京新聞は時々こういうのを書く。何なのだろう。

この統計は何か重要なのではないか?

ある意味避難区域からの避難者は被ばくの状況も似ているから一つの統計的な母集団になると思う。そこで他地域よりも突出して何かが起きれば、その死や病気自体を『被ばく』に容易に関連づけられる。そこに一切触れずに、『県外避難のストレス』と『結論づける』御用記事を、東京新聞のような良心的なメディアに「書かせる」ということは、逆に興味を引く。

この統計は来年以降も出るのか。

子どもの甲状腺検査 福島県以外と同じ [原発事故]

子どもの甲状腺検査 福島県以外と同じ (NHKニュース 3月8日 21時44分 )
原発事故を受けて、福島県が子どもを対象に行っている甲状腺の検査で、小さなしこりなどが見つかった割合が、福島県以外で行った検査の結果と同じ傾向だったことが分かり、環境省は、福島県での検査結果は原発事故の影響によるものとは考えにくいとしています。 原発事故で放出された放射性ヨウ素は、子どもの甲状腺に蓄積してがんを引き起こすおそれがあり、福島県は当時18歳以下だったすべての子どもを対象に甲状腺の検査を行っています。 福島県などによりますと、ことし1月下旬までに検査を受けた13万3000人余りのうち、41.2%の甲状腺に5ミリ以下の小さなしこりなどが見つかりました。 環境省は、見つかったしこりなどはほとんどが良性のものだとしていますが、福島県の保護者などから事故の影響が大きいのではないかと不安の声が上がっていたことから、原発事故の影響が小さい青森県の弘前市、甲府市、それに長崎市の3か所でも同じ検査を行いました。 その結果、検査した3歳から18歳までの合わせて4365人のうち、福島の検査で確認された小さなしこりなどが56.6%で見つかり、福島県とほぼ同じ傾向だったということです。 これについて、環境省は「福島の結果が原発事故の影響によるものとは考えにくいことが分かった。この結果が不安の解消につながることを期待したい」と話しています。
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きっとこう来るだろうとは思っていたが、こんな気持ちの悪い報道を垂れ流して、NHKは恥ずかしくないんだろうか?

何が気持ち悪いって、もういろんなところで指摘されてるように、福島ではすでに甲状腺ガンが3人出ているのだから、単純に考えれば、「福島も他の地域もしこりの発見率は一緒」って言うなら、日本中で小児甲状腺ガンが多発する可能性があるということなのに、そのことには一切触れないで(NHKは『甲状腺ガン3人』の報道をしてないだろう)、今回の「しこりの発見率が同じ」ってことだけは速報し、「不安の解消につながることに期待したい」とかコメントを流して、何だか「よかった、よかった」みたいな雰囲気を作っているところだと思う。

とにかく「福島原発事故の影響ではない」、何がなんでもその一点だけは死守したいし、そのためにはどんなことでもする、どうやってもそのつじつまだけは合わせる、という不気味な執念だけは伝わってくる。

この報道の意味することはこうだ。

まず福島の子供は、他の地域の子供よりも「より多く被爆している」ことが前提になる。それは認めている。

そして、その「より多く被爆している子供」も「被爆の影響をほとんど受けていない子供」も、「同じ割合で甲状腺にしこりがある」のだから、「しこりの原因は福島原発事故とは関係がない」「しこりの原因は別なところにある」ということになる。(これと同じ論法がチェルノブイリでも使われた)

この結果に「よかった、よかった、不安が解消された!」って飛び上がって喜ぶのは福島の保護者ではなく、東電と政府関係者だろう。

だって、「しこり」の不安も、それが悪性化するのではないか、ガンになるのではないかという不安も、まったく消えてないし、逆に日本中の子供が被ばくしたのではないか?という可能性や、原因は不明だが甲状腺に何らかの異常をもっているのではないか?という不安は増大している。

というより、甲状腺ののう胞と結節が日本の子供の半数に原発事故前から「普通に」あったのかどうか、それは事故前の検査データと比較しなければ分からないだろうし、その比較ができないのなら、「原発事故の影響ではない」とは断言できないと思う(『影響とは考えにくい』とぼかしてはいるが)。

しかしすでに福島で小児甲状腺ガンが3人(疑い7人)出ているせいで、この先に新たな不安が生じてしまった。

今後日本中の子供の甲状腺検査をするにつれて、福島の検査と同じ比率で甲状腺ガンが「見つからなかった」としたら、福島の「より多く被爆している」子供たちだけが「しこりが悪性腫瘍化」したことになってしまい、そうなったら、原発事故の影響は否定できなくなる。

逆に非汚染地帯の子供から今回の福島の検査と同じ比率で甲状腺ガンが「見つかった」としたら、日本中で小児甲状腺ガンが激増する可能性がある異常事態になってしまう。

しかし、とにかく「福島原発事故の影響ということだけは絶対に認めない」と「腹を決めた」国にしてみれば、むしろ日本中で小児甲状腺ガンが増えた方が、「検査精度が上がった」とか「大気汚染の影響」とか、ごまかすための理由は作りやすくなるから、そちらを望んでいるのかもしれない。

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もしかしたら、考えられているよりもずっと低い被ばく量で、ヨウ素やセシウムは甲状腺にのう胞や結節を作り出し、それがそれぞれの子供が元々持っている因子と結びついて「確率論的に」ガンを発生させるのかもしれない。

そうなると、放射性プルームの微量な初期被ばくや、食品やガレキ焼却による内部被ばくも、低線量で甲状腺や他の臓器に影響を与える可能性がある。

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国や東電にしてみれば、ガンでも死亡率でも一番困るのは福島だけが突出することだろう。

僕は希望的にそんなことにはならないと思っていたが、国はより深刻な事態を予見していて、保身のために様々な「手」を打ち続けて来たのかもしれない。

食べて応援、ガレキ拡散、除染ボランティア、、、そんなバカなと思うかもしれないが、今回の報道の恥ずかしさはかなり末期的だと思う。

もうすぐあの事故から2年、、、。

嘘だとか本当だとかデマだとか、そんなことはもうどうでもいい。

僕たちは、粛々と自衛する。