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足るを知る [雑感]

酒はたまにビールを飲むぐらいなのだが、3.11前しばらくワインを飲んでいた。

空港の免税店で何となく奮発して買った$100ぐらいのイタリアワインがえらくうまかったので、次は近所の酒屋でおすすめのワインを2000円ぐらいで買ってみた。

たいしてよく分からないのだが、安いワインはやはりその$100のワインに比べるとまったくおいしくない。

しかし、5千円とか1万円とか出して酒など飲む気にならないし、1000円ぐらいだと多少うまくても「値段の割にコストパフォーマンスが高い」と言ったそれなりのものでしかないので、どうせたまにしか飲まないのだから、2、3千円でも「これはうまい!」と言えるワインはないのか、ネットで調べて通販で購入し、いろいろ試して飲んでみた。

結果、赤も白も数本に絞られ、だいたい同じのしか買わなくなった。

そのうちの一つがこれ。

barbera_alba.jpg

エリオ・アルターレのバルベーラ・ダルバ。酸味、凝縮感、タンニン、果実味とか、いろいろワインの味を表す言葉はあるが、だいたい今ひとつのワインは何かが際立って何かが足りない。しかしこれは本当にバランスが良くて、上品。そして、開けてすぐおいしい。もうちょっと安いので(と言っても2500円-3000円ぐらい)ドルチェット・ダルバというのがあるけど、そちらもおいしい。

2007年には英国「デカンター」誌が選んだイタリア最上の格付けワイン15社の一つに入っている。

エリオ・アルターレは、1970年代に当たり前に使われていた化学肥料や農薬をやめて、仲間と一緒に牛を買って畜産農家に預け、その糞を肥料にしたり、グリーン・ハーヴェスト(ブドウの品質確保・向上のために、まだブドウが色付く前の緑色の時点で余分な房を切り落としてしまう作業。切り落とした房はそのまま畑に放置して肥料とする)を行い始めた。酸化防止剤もイタリア政府の基準以下しか使わない。

だいたいうまいと思ったワインは、ビオかそれに近いことをしている。

また品質を維持するために、生産量を制限している。

彼の名刺には、名前とVITICOLTORE(ブドウ栽培者)という肩書きだけが記されている。

曰く、

「覚えておいてください。この世には、ヴィティコルトーレと企業家の2種類があります。両者は全く違います。

企業家は醸造と畑の担当者を置いて、ときには100ヘクタールの畑から大量のワインを造ります。

私の10ヘクタールの畑には8人が働いています。

ブドウの樹を尊重し、土地の力を使い果たさないよう、ワインを手造りします。

樹が死んでしまったら、我々も生きていけません。

お金のためではありません。土地とそこに働く人々を守るのが最も大切です。

それがひいては、飲む人を守ることになるのです」

また、そのテイスティング・ルームの壁にはこう記されている。

「伝統とは、成功した改革の積み重ねである」


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以下、今はリンク切れになっている、読売新聞の記事より。

土地とそこに働く人々を守る

エリオ・アルターレ氏

バローロ・ボーイズの旗手



バローロの夢見る革命家

 イタリアワイン界で革命家を選ぶなら、エリオは間違いなくその1人だろう。

バローロの因習を打破し、栄光を取り戻した。

だが、革命は流血や痛みを伴う。

この男もまた父親との不和という苦しみを乗り越えねばならなかった。



 17歳から父の仕事を手伝い始めた。

1970年代半ば、バローロは危機的な状況だった。

かつては「王のワイン」と称揚された赤ワインが高い値段で売れない。ペルケ(何故か)?

少年は答えを探すために77年、ブルゴーニュへ旅立つ。

彼の地の、ブドウ栽培農家が単一品種を栽培する構造は

バローロと似ている。

ワインがバローロの10~20倍の価格で売れている秘密はどこにあるのか。

 「3つの法則を見つけました。収量を抑えた偉大なブドウなくしてはいいワインが生まれない。次に、果皮のマセラシオン(醸し)を工夫すること。そして、醸造過程を清潔に保つこと」



 バクテリアに汚染された大樽で、未熟なタンニンを抽出したワインは、長期熟成させてもおいしくなるはずがない。

改革は畑から始まった。

78年、地域で初めてグリーン・ハーヴェストを行った。

父はひざまずいて、「止めてくれ」と懇願した。



 「ブドウは神から授かるもので、それを切り詰めるのは神に逆らう行為という考えがありました。天罰が下ると思ったのです」



父とは半ば勘当の間柄に



 畑で化学薬品の使用を止め、冬季の剪定も厳しくした。

80年ごろ、父が枝を切るはしから、残した主枝を切っていった。

父はハサミを彼の足元に投げつけて、吐き捨てた。

「オレは60年間もこの仕事をしてきた。

なぜ、お前に教えられなければいけないんだ」と。

父には、大量のブドウを育てて家族を支えてきたという自負があった。

それを息子に否定されるのは我慢ならなかったのだろう。

 セラーでは、酸化を招く伝統の大樽から短期間で熟成させるバリックに切り替えた。

83年。大樽を電気ノコギリで切りつけた。父は怒った。

遺書を書き、遺産は2人の姉のみに譲るとしたためたほどだ。

姉を説得して施設と畑を買い戻すのに97年までかかった。


 「父とは対話の余地がありませんでした。『一家の主の自分に従え』というわけです。

『お父さんの正しさを証明するために、私に間違いをさせてくれ』と言ってもだめでした。

やり方を変えるなら、自分がいなくなってからにして欲しかったのです。

でも、私は目の前のワイン造りを変えたかった」

 

革命とは巨大な宮殿を打ち壊すばだけではない。身近な肉親との相克を乗り越えることから始まるのだ。

エリオがマルク・ディ・グラッツィアと二人三脚で進めたバローロの改革は地域に浸透した。

短期間の発酵・マセラシオンとバリック熟成は、バランスが良く、早くから楽しめるバローロを生んだ。

モダン・バローロとして世界の注目を集め、貧しかった産地に希望をもたらした。


 その過程では、試行錯誤もあった。彼の醸造法は地域の伝統にも、アカデミックな世界にも反していたからだ。発酵期間を昔ながらの1~2か月から15日、8日、4日と短縮していった。

80年代後半、シャトー・マルゴーのポール・ポンタリエ支配人から

「バリックの使い方が違う」と指摘されたこともある。

その結果、バリックにワインを合わせるのではなく、ワインに合わせてバリックを使う熟成に開眼した。


 「ワインは解釈なのです。ワインとは喜びの飲み物。

父のワインは酸化して、タンニンが強かったから好まれなかった。

私は、今飲んで楽しめ、いつ飲んでもおいしいワインを造りたいのです。

20年後においしいワインではありません。ワインの造り方に決まりはない。

魚の調理法と同じです。大切な基本原則さえ守れば、あとは甘口にしようが、濃い味にしようが自由です」


 関係が修復できないまま、父は85年に亡くなった。

息子にはつらい晩年だったが、目先の安寧で妥協しては、現在の成功は得られなかっただろう。

穏やかな語り口の裏に、鋼の意志を秘めている。

 「父が天国から見ていてくれれば、現在の状況に納得してくれたでしょう。

このワインこそが30年間かけて、私の出した結果なのです。

アルターレの名前は世界で知られています

。私は革命志向の反体制主義者だったかもしれません。でも、非常に幸運でした。

引き出しに詰め込んだ夢の多くを実現できたのですから」



土地とそこに働く人々を守る



 エリオの名刺は名前とVITICOLTORE(ブドウ栽培者)という肩書きだけを記した簡素なものだ。

農民としての誇りがうかがえる。

「覚えておいてください。この世には、ヴィティコルトーレと企業家の2種類があります。

両者は全く違います。

企業家は醸造と畑の担当者を置いて、ときには100ヘクタールの畑から大量のワインを造ります。

私の10ヘクタールの畑には8人が働いています。

ブドウの樹を尊重し、土地の力を使い果たさないよう、ワインを手造りします。

樹が死んでしまったら、我々も生きていけません。

お金のためではありません。土地とそこに働く人々を守るのが最も大切です。

それがひいては、飲む人を守ることになるのです」


 1つのことをやり続けるだけで、人間はここまで偉大な思想家になることができる。

日々の仕事を深遠な哲学に昇華できる一握りの人間は、どこの世界にもいるものだ。

 「ピエモンテに来てくれ。畑で働く人々を見れば、私の言うことが実感できるはずだ」。

真摯な表情で、固く手を握ってくるエリオの瞳を見ながら、本物の造り手に出会えた幸運をかみしめた。



プロフィール

エリオ・アルターレ氏


1950年9月11日生まれ。醸造学校には行かず、
父からワイン造りを教わる。
25歳になったときから、様々な改革に取り組み始め、
モダン・バローロの基礎を築いた。

世界遺産「チンクエテッレ」で
若い造り手を助けるボランティアにも力を入れている。

テレビの権威 [雑感]

今回の選挙の結果にはがっかりしたが、嘆いてばかりもいられない。

「日本人はバカだ」で済めば、話は簡単だが、あいにく自分も日本でしばらくは生きなければならない日本人だから、こんなところで諦めるわけにはいかない。

人々は「何も考えずに」投票したわけではないだろう。

きっと、その人なりによくよく考えて、人によっては「苦渋の決断」をしたのかもしれない。

しかし、そういう自発的な判断そのものが、「テレビ」によって巧妙に仕組まれている。

テレビや新聞や広告から断片的に情報を刷り込まれて、自分で選んだつもりで、選ばされている。

真実を探求しようなどと思わず、テレビに映ったものこそが真実だと手っ取り早く感じる「テレビ脳」

何よりも、そうやってテレビで流される情報は、巨大な利権によって選別され、守られているわけだから、それを信じれば、すなわち権力に寄り添うことになる。

結局、日本人はテレビを信じてるというより、「権威」に弱いのだろう。

ネットの影響力など微々たるものなのだと、今回の選挙で痛感した。


原発事故の悲しみを心に刻んで生きること [原発事故]

毎日毎日、2011年3月12日以来、福島原発事故のこと、放射能のことを考えない日はない。

自分たちが直接、強制移住させられたとか大量被ばくしたとかいう理由からではない。

僕の心の中にどうにも引っかかって、忘れ去ることができないもっとも大きな「感情」は、この原発事故によって、すでに多くの人に襲いかかり、これから何十年にも渡って「いつかどこかで誰かに」襲いかかるであろう「悲しみ」だ。

そして、その「悲しみ」が僕にとって重大な意味を持つのは、「それがもしかしたら自分や自分の家族であったかもしれない」し、また「これからそうなるであろう可能性が全くないわけではない」という、現実の、あるいは潜在的な「被害者」へのある種の「同調=シンパシー」があるからなんだ。

それが「己自身の憂苦」=「悲しみ」となって僕を捉え、「あの日」から消え去ることがない。

原発容認派は言う。

「これぐらいの被害で済んでよかった」とか「チェルノブイリよりたいしたことなかった」とか。

ところが絶対に「何も起きない」とは言わない。

同時に、「ちょっと影響が出るかもしれないが、それはしょうがないことだから、諦めろ」という本心も言わない。

そして「ただちに影響はない」「健康被害が出るとは考えにくい」というようなぼかした言い方をする。

そこに彼らの真意がある。

「奥歯にモノのはさまったような言い方」をする当の原発推進派や容認派は、原発立地から強制移住させられたわけでも、子供が大量に甲状腺被ばくしたわけでもない。

自分たちは安全な場所から、「その程度の被害で済んでよかったな、気にするな」とか「俺たちの利益が減らないようにがんばってそこに住め」とか言いたいところを、放射能汚染を受忍させるためにあれこれ言い訳を用意して、「平気で嘘をつく」。

つまり、彼らは、他人の「ちょっとぐらいの犠牲」「ちょっとぐらいの不幸」「ちょっとぐらいの悲しみ」なんて、巨大な利権、身内の利益に比べれば取るに足らないものと思っていて、しかも、それをどうも「人間社会の不可避の本質」ぐらいに思っている。

そんな綺麗ごと言ってたら生き残れない、他人の悲しみなんて分かる訳がないだろう、資本主義の宿命だ、原発も戦争も必要悪だ、だから、「生きたい」のなら、この社会の根源的な「差別」には目をつぶれ、と。

僕には、この「差別に目をつぶれ」ということがどうしても理解できない。

なぜ「見ないようにする」必要があるのか?

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村上春樹が「カタルーニャ賞受賞」でスピーチをしたのはもう一年以上前のことだが、先日その全文を読んだ。

完全版:村上春樹さんカタルーニャ賞受賞スピーチ(NHKかぶんブログ)

このスピーチは前半と後半に大きく分かれている。

前半では「自然災害」としての地震を、日本人は「無常」「しょうがないもの」として受け止め、「あきらめの世界観」で克服していくだろうと、日本人の精神性について語る。

後半では広島の原爆死没者慰霊碑にある言葉、

「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」

を引用し、「私たちはもう一度その言葉を心に刻みこまなくてはなりません」と、原爆の被害を受けたにもかかわらず、戦後「効率」の名の下に損なわれてしまった日本人の倫理観について語る。

この前半と後半はある「対立」を持っている。

自然がもたらした「悲しみ」を忘れて乗り越えること。

人間がもたらした「悲しみ」を心に刻んで二度と繰り返さないこと。

これは日本人の精神性に限らず、人間の根本的な自然と社会への関わり方だろう。同時に、こういった「感情」の解釈が、原発事故後の日本で起きた人々の対立の原因となったようにも思う。

そして、原子力産業複合体は(あるいは軍産複合体も)、この原因の異なる二つの悲しみを「すり替える」のだ。
原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎなかったのです。それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。
原発事故を自然災害であるかのように、「しょうがない」と忘れさせようとする時、彼らは日本人のこの「無常観」を利用する。「科学」「データ」と言いながら、自分たちの利権を守るため、経済のためには、「精神」まで操ろうとする。

だからこそ、僕たちは想像力を働かせて、その操作に抵抗しなければならない。
私たちは夢を見ることを恐れてはなりません。理想を抱くことを恐れてもなりません。そして私たちの足取りを、「便宜」や「効率」といった名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはなりません。私たちは力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」になるのです。
この「非現実的な夢想家」という言葉は、ベルクソンの引用と思われる。

夢ばかり見て現実を見ない人のように聞こえるが、実際は「イデアリスト」であり、事物の「本質」をより正確に捉える人という意味だろう。原発推進派のいう「現実」が表面的な便宜に過ぎない、という言い方も、「現実」という言葉が時には人々を欺くために使われるということだから、「イデア=真理」を見る人にならなければならない、ということだろう。

だから、僕は騙されない。

この「悲しみ」を心に刻んで、それでも前に突き進む。

それが原発に対するNOであり、日本人としての責任なのだ。



育児は育自 [育児]

(タイトル思いつきなんだけど、そう言ってる人は多いみたいですね、、、。)

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僕は子供を「できる限り怒らない」ようにしていると書いた

厳しくすることはあっても、感情的に怒らない。

理由は、子供が何か気に入らないことに対して泣いてもわめいても、それを「わがまま」と思っていないからだ。

むしろ、そういう場合、大人である僕らのやり方が「何か間違っているのではないか?」と思っている。

子供を朝無理矢理起こさなければならないのも、前の日に早く寝かせなかったせいだし、早く寝なかったのは、十分に体を動かして遊んであげなかったせいだし、遊ぶ時間がなかったのは、仕事が忙しくて食事を作るのに時間を取られてしまったからだ。

要するに、子供には強烈に「こうしたい、ああしたい」という欲望が怒濤のように流れているのに、親の方は生活を支えるための「労働」に追われて疲労し、それを受け止めるだけの時間的余裕も、精神的余裕もなくなっているからだ。

大人はいろんな「欲望」を子供に与えておいて、子供はそれを何度も繰り返して楽しみたいだけなのに、時間がないとか面倒くさいとかいう大人の「都合」でもってその行為を中断させられて、「もっとやるー!」と泣きわめいたら「聞き分けがない!」と怒鳴られれば、それは子供にとってものすごく理不尽なことだと思う。

僕らの子供が朝食の時クロワッサンの皮をきれいに剥がすことにこだわったのだって、そりゃきれいに「パカッ」とはがれた方が気分がいいし、中のふわふわの固まりをそっくり丸ごと取り出して食べた方がおいしいに決まっている。

子供はその「快楽」を繰り返し味わいたいから、当然のように同じものを期待する。

大人は「まあいいか。また次があるさ」と「断念」したり「我慢」したりできるが、それは「過去」や「未来」と言った時間の感覚があるからで、時間の感覚が生じるためには、自分を客体化して、空間の中に位置づけて、他人と自分、世界と自分を相対化して見ることができなければならない。さらに、そういう相対化のためには「言語」を体系的に学ばなければならない。

子供にとってはその「欲望」が全てであり、それを相対化して「諦める」ことなどできない。「現在が全て」で、その欲望は「今ここ」で実現されなければ、永遠にやってこない。

壊れてしまったおもちゃは永遠に壊れたままだし、崩れてしまったクロワッサンの皮は二度と元には戻らない。

大人はそれを「また買えばいい」「また作ればいい」と簡単に、さも「論理的に」考えているかのように言うが、同じ形のクロワッサンは一つとしてないし、次に皮がきれいにはがせる保証もない。もし明日大地震が来てパン屋が潰れたらクロワッサンは食べられない。

だから、時の流れは一度しかないという「現実」を考えれば、子供の主張にも一理あるし、「聞き分けがない」とは言い切れない。

僕らは言葉体系の中で「仮説」を立てて、「たぶん大丈夫だろう」ととりあえず安心しているに過ぎない。

「言葉」はいくらでも教えられるけど、言語の「体系」は一度には教えることは難しい。「言葉」は欲望を増大させるけど、それを自在に操ってその「暴走する欲望」をコントロールするためには、「体系=システム」は経験を通じて「身につけて」いかなければならない。

絶対的で利己的な「欲望」と、それを実現できず、またコントロールすることもできないことに対する「いら立ち」。

その狭間で身動きが取れなくなって、親に助けを求めて「泣く」。

それはむしろ「わがまま」と言うよりも、人間に付きまとう「苦悩」の表れだろう。

もちろん「ぎゃー!!」と泣きわめく子供に微笑んで寄り添うのは難しい。

しかし、少なくとも「わがまま言うな!」と突き放して解決するものではない。

たぶん、「親」しかその最後の理解者にはなれない。

だけど親も社会も「わがままさせると癖になる」とか「怒るべきところでは感情的になってもいい」とか、それを「しつけ」と呼んで、子供を「社会化」させるための必要条件みたいに正当化している。

本当は、ただ親は忙しいだけでその子供の欲望に付き合ってる「ひまがない」のだし、何よりも、そうやって感情的に怒鳴りつけて子供を黙らせて、後で落ち着いてから慰めるとかした方が、大人にとって「楽」なのだ。

それに親がカリカリして不安定になると、子供も自分を守るためにご機嫌取りを始めて、早く「大人になる」。そこで「良い子だね」とほめてもらえれば、親の顔色を伺いながら、いずれ聞き分けはよくなる。

ただし、それは子供の内部からわき上がる欲望(生の欲動=リビドーと言ってもいい)に対する「抑圧」でしかないから、度が過ぎるとどこかでしっぺ返しを食らう。

例えば、スーパーなど人前でひっくり返って泣きわめいてアピールするのも、親に対する復讐だし、それをさらに親が引っぱたいて押さえ込むなら、いずれその反動が激烈な反抗期となって現れるだろうし、虐待にまでエスカレートすればそれは精神的な傷(トラウマ)となって無意識に残り、歪んだ欲望(例えば犯罪、性的倒錯、虚言癖)となってブーメランみたいに「回帰」するだろう。

つまり、どんな形をとってでも、一旦芽生えた欲望は、是が非でも「実現」されなければならず、それこそが人間を突き動かす原動力であり、不可能を可能にして文明を築いてきた。

こどもはその「人間の力」をあるがままに、むき出しにして生きているだけなんだと思う。

それをどう導いて「自己実現」させるか。あるいは反対に「抑圧して社会化」してしまうのか。

そこで「怒らない親」もたくさんいるだろうし、みんな試行錯誤している。

早期教育やシュタイナー教育を勉強して、「よかれ」と思ってあれやこれやと「がんばって」やる。

一生懸命子供のスピードに合わせて、子供の目線で、何度も繰り返してその「やりたいこと」に付き合って、「やりたくないけど、やらなければならないこと」を如何に自然に身につけさせるか工夫する。

仕事もして家事もこなし、さらに時間を作り出して、子供のスローペースに付き合って、丁寧に子供の自発性を引き出すために「身をすり減らす」。

ところが子供の性格や生活環境も千差万別だし、教科書通りにうまく行かないのだ。

それでイライラしていたら元も子もないから、「がんばってる姿が子供にも伝わる」と自分を慰めてまたがんばる。

(人前ではこれ以上ないぐらい優しいのに、見えないところでびっくりするぐらい激怒するような親に出くわすこともあるが)

ここに教育熱心な親があまり気がつかないもう一つの落とし穴がある。

その「がんばり」がまた、子供にとっては一つの「抑圧」になってしまう。

(人間の精神はおそろしく面倒くさくできている)

子供は敏感だから、自分のためにこんなにがんばってくれるお父さんお母さんの期待に応えようと、「親のため」にがんばり始める。

こういう核家族的「悪循環」にはまり込むのは、自分もかつて「親の期待」を背負って育てられて成功したり、あるいはその期待に応えられなくて自信喪失したとかいう経験があって、それを知らず知らず「親になってから」繰り返してしまうからだ。

自分のサクセスストーリーは「理想」となり、失敗や後悔は「実現されなかった欲望」となり、「親になった自分」に「回帰」してくる。

とにかく、どんな形でも「欲望」は舞い戻ってくる。

子を思うあまり、親が自分でできもしないことを子供に無理矢理「押し付ける」ことも問題だが、親が自分の器以上のものを子供に「努力して教えよう」としたって土台無理なのだ。

矛盾してるようだけど、結局子供には「言葉では何も教えられない」。

「親の背を見て子は育つ」とか「子は親の鏡」とか言うけど、子供ができて思うことは、まさにその通りで、子供っていうのは親の無意識、親の「人間そのもの」なんだ。

冷静になって、社会的肩書き取り払って、「素の自分」を見てみれば、よっぽどの超人でもない限り、まあ「たいしたことないな」となるだろう。

そこで「じゃあ駄目な親からは駄目な子供しかできないんだ」と開き直ったり、「どうせこの子は私の子だからたいした人間じゃない」とか思う人だっているだろう。

ぶっちゃけて「もういいや」と半分育児放棄するような人だっているだろう。

(『俺は素でも超人だ』という人は、そのまま己の道を突き進んで子供も巻き添えにして世の中を変えてほしい)

しかし、「どうせ駄目だから」で済ませられないでしょう、かわいい我が子だもの。

やっぱり何とかしたい、と大半の人は思う。何とかやれることをして子供の持つ可能性を引き出してあげたい。

だから考える。「とにかくやるしかないだろう」と自分を肯定する全てを引っ掻き集める。

人より得意なこと、これは楽しいと心から思えて「悦び」を伴ってやれること、面倒くさいけどやらなきゃならないと思って習慣化して自然に身に付いていること。

そういう一切合切を積み上げた「ありのままの自分」で自分の人生を生きる。子供はそれをDNAレベルでコピーしていて、最も身近な「見本」として、生活の中でもコピーしていく。

だから、親がやらなければならないことは、「子供のためにがんばる」んじゃなくて、まずは「自分のためにがんばって」「自分を磨く」ことなんだと思う。

で、この「自分を磨く」っていうのは、「他人にどう見られるか」っていう問題を含むから、学生も社会人もみんな普通にやってることなんだと思う。

若い頃にはただとにかく「もてたい」とか「かっこいい(あるいはかわいい)って思われたい」とか思ってやってた努力も、仕事のノルマ達成のために馬車馬みたいにがむしゃらに働いた時の「意地」も、それは結局自分の「欲望の現れ」なのだから無駄じゃなかった。

「他者の視線」を感じることが大事なのだ。

その「視線」を、人間性とか行動力とか知性とかに対するものと考えれば、「見られる」ということは、人間を突き動かす根源的な精神作用の一つなんだと分かる。

芸能や政治はその「見てくれ」や「はったり」が特化した世界だろう。

そして同じように子供も親を見ている

「見かけ」や「業績」などよりももっと深い部分で、「人間」を素直に敏感に洞察し、心のあり方まで「真似て」いる

親が「こりゃ楽しいぞ!」って思うことを子供は「楽しい!」と思うわけだし、「これは面倒くさいけど、やるしかないな」と思って習慣化して身に付いたことは、子供だってそういう風に身につけるだろう。

つまり家庭の教育とは、家族やコミュニティーや仕事の中で生きる親の姿そのものを見せることだ。

そう考えてみると、それに気が付いて「文句言わずにきっちり責任持って生きてる人」ってのは結構いるな、と思う。

自分を磨くことも、仕事に精を出すことも、子供に社会性を身につけさせることも、遊ぶことも、全く同じように考えること。

つまり、親も子供と一緒に「成長」すること。

育児は育自なのだ。


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