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山下俊一と権力者の本音 [雑感]

今日の放射線被曝防護の基準とは、核・原子力開発のためにヒバクを強制する側が、それを強制される側に、ヒバクがやむをえないもので、我慢して受容すべきものと思わせるために、科学的な装いを凝らして作った社会的基準であり、原子力開発の推進策を政治的・経済的に支える行政的手段なのである」
「増補 放射線被曝の歴史―アメリカ原爆開発から福島原発事故まで」― 中川 保雄


あるブログで山下俊一に対する興味深いコメントを見つけた。

僕もまったく同じことを考えていて、前そのことについて記事を書いた

結局山下の言っていることは、「科学」ではなく、「科学の装いをこらした行政手段」なのだ。

にもかかわらず、その「科学の装い」をあたかも「科学的証明」であるかのように語るからうさん臭く聞こえるし、離れた場所から客観的に見ると、人々を「騙している」ように見える。

しかし、避難させてもらえず、ネット情報など調べようもない年老いた福島県民にしてみれば、藁にもすがる気持ちで「安心です」を信じてしまうのだろう。

田舎の病人に健康食品を売りつける詐欺商法の手口と変わらない。

しかし、山下本人は自分の意思で「騙した」などとまったく思ってないだろう。

国が決めたことをただ伝達しているに過ぎない、と思っている。

手順としてはこうだ。

まず官僚が、国民を守るのではなく、国家が国家として生き延びるために、「被ばくによる犠牲」を「受け入れろ」と命令する。

(1000人避難させるために莫大な国家予算を使うより、避難させずに10人か300人か病気になっても残りの990人か700人は助かる政策を選ぶ。『安全』と決めておけば、移住費用も出さなくて良いし、税収も減らないし、因果関係を証明できない病気を補償する必要もない。それに比べれば除染費用など微々たるものだし、業者に金も回る。)

しかし、独裁国家じゃあるまいし、官僚がそんなことを直接的に国民に命ずることなどできるはずがない。もしそんなこと言ってしまったら自分の首を絞めるだけだからだ。

だから山下が「アドバイザーとして」雇われる。

その「国家の命令」にうまく「科学的装い」をほどこして、国民に「アドバイス」する。

山下自身は、「何、これは俺の考えじゃない。ただ国家権力の代弁をしているだけだから、日本という国家が自分を断罪することはあり得ない」と確信している。

世界中あらゆる場所に存在する権力者とその走狗(そうく)の共犯関係。

以下、そのコメント

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12. 2012年10月20日 11:55:44 : 6xlWJhvstw

私は昨年の福島の事故直後、山下俊一の発言に注目した。

「年間100mSまでは安全」
「ニコニコ笑っている人には放射能は来ません。クヨクヨしている人に来ます」
など。

しかし、私がもっとも不審に思ったのは、彼の発言につねにまとわりつく「国家主義」の発想・観念である。

「パニックになってはいけません。社会の一員として理性ある行動をお願いします。」

「ここは日本国です。私たちは日本人なのです。」

「みなさんへ基準を提示したのは国です。私は日本国民の一人として国の指針に従う義務があります。科学者としては、100ミリシーベルト以下では発ガンリスクは証明できないだから、不安を持って将来を悲観するよりも、今、安心して、安全だと思って活動しなさいととずっと言い続けました。ですから、今でも、100ミリシーベルトの積算線量で、リスクがあるとは思っていません。これは日本の国が決めたことです。私たちは日本国民です。」

これほどあからさまに「国の指示に従え!」と言う御用学者はさすがに他にはいなかった。

頭のよい官僚は、腹の底ではこのように考えているが、これほどあからさまに権力意識をさらけ出してそれを発言することはない。それを国民にさらけ出すことは、彼らの得にならないことを十分に承知しているから・・・。

しかし、彼ら「霞ヶ関官僚」の本当の「本音」はこれなのだ!

権力というものの「本音」を見せてくれたという意味では、山下俊一の発言は特筆すべきであった。

乳がん検診 [雑感]

妻が一年以上前に受けた乳がん検診で、「一年後にもう一度マンモグラフィーを受けてください」と言われたのだが、どうすべきか考えてしまう。

Google で「乳がん検査」「マンモグラフィー」とか検索すると、「ぜひ検査しましょう」みたいなサイトばかりがトップに出てくるが、その反面否定的な意見もたくさんある。

例えば、

2009年11月、米国予防医学専門委員会(US Preventive Services Task Force, USPSTF)は、それまで「40歳以上の女性に対して、マンモグラフィを用いた乳がん検診の1~2年に1回の受診を推奨する」としていた推奨(グレードB)を、「40歳代の女性に対しては、マンモグラフィを用いた定期的な乳がん検診を行うことを推奨しない」という推奨(グレードC)を発表しました。(その後、推奨の表現は「50歳未満の定期的なマンモグラフィ検診を行うにあたっては、対象者個人ごとの利益と不利益に関する価値判断を考慮すべき」と修正されていますが、推奨グレードCの判断自体は変わっていません。)
推奨グレードがBからCに変更された理由として、マンモグラフィ検診による利益(乳がん死亡率減少効果)は40歳代の女性に対しても認められるものの、不利益(要精検の結果、がんではなかった人に対する不必要な検査や放置しても臨床的に問題にならないがんに対する治療等)が存在し、利益と不利益を比べた場合に50歳代以上の女性と比較して、40歳代では利益が不利益を上回る度合いが小さいことが挙げられています。

これも、

40〜49歳の女性の場合、マンモグラフィー検診は乳癌による死亡率を15%しか減らせないとされる。一方で、誤診の確率がかなり高く、不必要な組織検査を受けさせられたり、無用な心配にさいなまれる恐れがある。癌のリスクが少ない家系で自覚症状もない若い女性は、メリットとデメリットを慎重に検討する必要がありそうだ。(ニューズウィーク日本版2009年12月16日号掲載

あるいは、推奨はしているものの、何か歯切れが悪い、こんなのとか。

「マンモグラフィ検診は完璧ではありません。すべての乳がんを見つけることはできません。それでもあえて私は日本の女性全員に、『最低でも一回はマンモグラフィを受けてください』と言っています。マンモグラフィには、それだけの価値があるのです」(日本乳癌検診学会理事長福田医師インタビュー)

「マンモグラフィによる乳がん検診が一般的になってから数年。実は、乳がんによる死亡率は、減少していません」

「欧米女性の場合、日本人に比べ乳腺密度が少ないことが多く、さらに乳がんの罹患年齢のピークがおよそ60〜70歳。したがって乳腺密度も薄く、マンモグラフィでも比較的見つけやすい」

「若ければ若いほど、マンモグラフィで乳がんを見つけるのは難しい」

「日本女性の場合、マンモグラフィが不得意とする脂肪が少ない(逆に言うと乳腺が濃い)乳房であるため、マンモグラフィ検診の効果は少ない」

「その結果、どういう事が起こるか?見逃さないために、精密検査に回すことが多くなります」

「マンモグラフィ検診を継続的に受けたグループと、一切受けなかったグループ。その乳がん死亡減少率の差は15%〜20%」

、、、微妙だな、と思う。

特に、

全員を救う、のではなく、なるべく多くを救う。それが国費を使う『対策型検診』の目的」

こういう発言を聞くと、何か、予防接種とかワクチンとか産科医療の過剰介入に通じる、「近代医療推進」のための「理屈」を感じてしまう。

原子力推進と似たような、近代社会に生きることそのものが確率論的なリスクにさらされているのだから、そこに参加するものは皆等しくそのリスクを受け入れなければならない、みたいな。

たしかに、ネットで検索すると、「マンモグラフィーで石灰化などが見つかって医者は『95%は良性です』と言っているが、不安で自主的に細胞診とかマンモトーム生検とか受けて、実際初期の乳がんを発見して手術した」なんて人もいる。

そして、「良性ですと言われて経過観察していたら実は若年性乳がんで、全摘出手術した」という人もいる。

その人たち、つまり、本当にガンになってしまった人たちからしてみれば、「検査して良かった」あるいは「もっと精密検査を受ければこんなにひどくならなくて済んだ」ということになる。

それを否定することはできないし、そういう方たちを一人でも多く救うという目的で、乳がん検診があるのだ。

だけど、こういった「結果」からさかのぼって、「その原因を取り除く」という考え方は、健康な人にとっては同時に「過剰検査」「過剰治療」によって身体に無用な負担をかけることにもなる。

ガン検診は難しい問題なのだ。

例えば、マンモグラフィーではほぼ「良性」と診断されているような石灰化が、マンモトームという「先進医療」で初めて「ごく初期の乳がん」として発見されたとする。

では、それを放ったらかしにしておいた場合、どれぐらいの「確率」で悪性の進行性ガンになるのか?

そんなことは分からないわけだ。

ガンになる人もいれば、もしかしたら、極めて良性で、ずーっと長い間悪化せず、転移もせず、他の病気か老衰で死ぬまで分からなかったなんて場合だってあるかもしれない。放っておけばゆるやかに進行するガンを早期に発見したせいで、若いうちから抗がん剤を打ったり放射線治療をすることで、逆に寿命を縮めるかもしれない。

アメリカでマンモグラフィ検診が普及しながら40歳代の乳がん死亡率が下がらなかったのも(全体として死亡率は下がっているらしいが)、仮に40歳で早期発見して切除しても、転移が止められなかったということだろう。

これはもちろん、「ガンになってない人」の観点だ。

がん検診しなかったせいで末期がんになってから見つかった人や「早期治療で完治した人」もいるわけだから、そういう人からすれば、「絶対検査すべき」「絶対手術すべき」と言うことになるだろう。

誰だってガンになる「可能性」はあるのだから、わずかであってもそれを取り除きたい。

たしかに乳がんは「だるい」とか「痛い」とか初期症状がなくて、しこりが触診できるぐらいに大きくなっていたらかなり進行しているようだから、早期発見によって「手遅れ」になるリスクを回避することができる人もいるのだろう。

だけど、ガンを心配するあまり、不要な医療被ばくを過剰に受けて、それが原因で体調不良になったり、将来的にガンを発症する「確率」を上げてしまうことだって、ないわけではないだろう。

「検査しても何もなかった人が、検診と引き換えに医療被ばくのせいで、放っておけば一生顕在化しなかったようなガンが将来的に発症する」

そういう可能性はないんだろうか?

その可能性が少しでもあるなら、日本でガン患者数や死亡者数が増加する一方なのも、「食生活の欧米化」「高齢化」「晩婚化」なんていう理由だけでは説明できないことになる。(もちろん原発の通常運転で漏れてる放射能や大気圏内核実験のフォールアウトの影響もあるだろう。そして言わずもがなの『あれ』も)

だから、検査よりも何よりも、本当は「ガンにならないようにする」ことが重要なんだと思う。

いや、「ガンにならない」なんて言ったって、自分も含めてなる時はなるんだろうし(悲しいことだが)、一旦体を壊せばそこから健康を取り戻すのはもっと大変なのだから、食生活に気をつけて運動して、それから何よりも「放射能を避けて」、

まだ健康なうちに、健康であるために全力を尽くす

ってのを第一に考えるべきだろう。

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Live as if you were to die tomorrow. Learn as if you were to live forever.

明日死ぬかのように生きなさい。永遠に生きるかのように学びなさい。

マハトマ・ガンジー

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乳がんの過剰診断ー検診の戒め

岡田正彦・新潟大学医学部教授 長生きしたければがん検診は受けるな(2012年02月15日(水) 週刊現代)




がれき広域処理は何のために必要なのか [原発事故]

とあるブログのコメントを読んでふと思ったこと、、、。

原発再稼働するためには、今回の福島原発事故が「たいしたことない」と国民に思わせなければならない。

放射能に汚染された瓦礫や焼却灰を厳重に管理しようとしたら莫大な予算がかかる。

避難も食品流通もガレキ処理も、まじめにやったら、「今回の事故が許容できない事故」とばれてしまう

国は、「ばれると困る」から、「絆です」ということにして全部ばらまく。

そして後々の放射性廃棄物全国拡散へ向けて、筋道をつける。

こんなものすごい理屈をみんな本当に、「その通りだ」あるいは「やむを得ない」って受け入れてるのか?

そんなに「忘れたい」のだろうか?

きっと国に言われるまでもなく、多くの人間が、福島原発事故を、許容できない事故とは「認めたくない」のだ。

「ガレキ」を「絆」として受け入れるのは、被災地のためというよりはむしろ、事故の重大さを「否定」して、今までの生活に戻ることを「肯定」するためだろう。

以下、引用。

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環境省は20年後とか30年後とかまじめに考えていない印象が強い。
目先の原発を再稼働するため、という動機のほうが強いという気がする。
口先だけの原発ゼロとか言っているが、当面動かすことができれば、10年後どうするかというのは、その時にねじくれた議論をやればいいと思っているのではないか。
当面動かすためにどうするかというときに、避難させないとか、生産を続けされるとか、今までと同じゴミの処理とか、事故の影響をできるだけ大きく見せないようにしたい、のではない。
何かをまじめにやれば、今回の事故は許容できない事故だとわかってしまう。
だから、3.11以前と同じことを続けさせてようとしている。

福島原発事故のキセノンはいつ関東に到達したのか [原発事故]

ずいぶん前に、「福島原発1号機は地震直後からすでにキセノンが漏れていた」みたいなニュースがあった。

それでいつ関東に到達したのか?と気になって、日本分析センターのグラフを見て、3/15前には関東には来てない、と思っていたのだが、妻が「吸ってるかも」と言うので、もう一度調べてみる。

僕も気になってた毎日新聞の記事に、(今はもう消えてしまったようだが)

「福島原発事故:発生直後、千葉のキセノン濃度40万倍に」というのがある。

東京電力福島第1原発事故直後、大気中の放射性物質「キセノン133(半減期5日)」の濃度が事故前に比べ最大で約40万倍になっていたことを、環境中の放射性物質の調査などを専門に行う財団法人「日本分析センター」(千葉市)が1日、明らかにした。同センターによると、キセノン133の大気中の平均濃度は、3月14~22日に千葉市で1立方メートルあたり1300ベクレルへ急上昇した。事故前は「不検出」から3.4ミリベクレルの間で、3月11日の事故直後は40万倍に達した。通常の濃度に戻るまで約3カ月かかったという…(毎日新聞 2011年12月1日 20時04分)

これだけ見ると、まるで3/11の地震で1号機の配管が壊れた直後に、千葉でもキセノンが40万倍になったみたいに思える。

しかしネットで情報を探すと、
1号機は、3月12日の14時17分~47分にかけて、290万テラベクレルのキセノン133を放出した
とのことだ。

1号機が水素爆発したのは15時36分頃だから、その直前のベントで大量に放出された放射性物質と一緒に、キセノンも漏れたのだろう。

では、キセノンのような希ガスだけが関東に到達することなどあるのか?

CTBT高崎観測所のデータを見ると、空間線量が爆発的に上昇するのは、3/15の午後だ。

そして、その3月15日に、高崎観測所では3月12〜13日に捕集された試料を測定していた。

測定に20時間ぐらいかかるらしく、2時間ごとに数値を出す。

途中まで平常値だったのだが、最後の2時間だけ、キセノンやヨウ素などのピークが検出された

どういうことかと言うと、測定中に室内に侵入してきたプルームが検出されたというのだ。

何か生々しいが、それぐらい精度が高いということだし、とにかく3月12〜13日の降下物にはまだ汚染はなかった、ということになる。

キセノンが関東に到達したのは、やはり15日のようです、、、。

ついでながら、よく知られた話だが、3/15にプルームによって高崎にも運ばれて来た膨大な放射性物質、それがどんな放射性核種でどれぐらいの量だったのか、CTBT高崎では分析できていない。つまりもっとも肝心なデータが抜け落ちている。

プルームを捕集した14〜15日の試料は16日に測定する予定だったが、「計画停電」のせいでできなかったと言うのだ、、、。そんなとこ停電させるなよ、と思う。しかし停電はたった「2時間」で、その間に半導体検出器の温度が上昇して、その後も測定することができなかったと言う。本当かよ?とも思うし、それぐらいのバックアップ電源なんで持ってないんだ?とも思う。

以下高崎のデータと報告抜粋。

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xe.jpg

高崎観測所で観測された粒子状全放射性核種濃度と観 測所から最も近い位置にある日本原子力研究開発機構高崎量子応用研究所のモニタリングポスト(西)の空間 g 線線量率11)の比較を図 4 に示す。

xe-01.jpg

図中の空間 g 線線量 率は 1 時間ごとに測定されたもので,福島第一原子力 発電所から放出された放射性プルーム(放射性雲)が, 3 月 15 日午後 1 時と 3 時に高崎に到達したことが分かる。高放射性のプルームが観測所に到達した時,観測所 では当日の試料(14日15時55分~15日15時55分) の捕集と,前日(13~14 日)捕集した試料の冷却,そ して前々日(12~13 日)に捕集した試料の測定が行わ れていた。12~13 日の捕集試料の測定では,測定開始 後 20 時間までの 2 時間ごとの g 線スペクトルは平常時と同じものであったが,最後の 13 時 55 分(日本時間)
133Xe 等のピークが表れてきた。このことから,15 日に 測定していた 12~13 日の捕集試料には福島第一原子力 発電所からの放射性物質は含まれてなく,測定終盤に到 達した放射性プルームの観測所施設内への侵入によって 汚染されたものであることが分かった。また,短寿命の 天然放射性核種の放射能を減衰させるために冷却してい た前日(13~14 日)の捕集試料も,侵入して来た放射 性プルームによって汚染された。放射性プルームがやっ てきた 14~15 日の捕集試料は,16~17 日に測定され るはずであったが,16 日の計画停電のために測定が行 われていない。停電は約 2 時間であったが,その間に 電気冷却式 Ge 半導体検出器の温度が上昇し,電気が回 復してからもしばらくの間高電圧を掛けることができな くなり,試料の測定が困難になった。

原発ゼロが理想なので原発には反対します [原発事故]

この記事「原発容認派について」で以下のようなコメントをもらった。原発容認派の方らしいが、こんな一個人のしょうもないブログに、記事内容もたいして読んでないような紋切り型のコメントを残す人(あるいはアルバイト?)に、まじめに返答するのもばからしいので、このコメントをネタに記事を書くことにした。

以下。

human-nation.gif
頭の中心に「命」がある人 と 頭の中心に「国家・経済」がある人の図。

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「(原発)ゼロが理想ですが容認する」のは以下の理由です
・原油を巡る戦争の回避:産油国での戦争はエネルギー問題が一因です。原油による戦争リスクを回避するため、世界は「自国のエネルギー(原発)」へと進みました。戦争による命損失リスクと原発のリスクはどちらが高いかという問題です。原発リスクは3.11前にも存在しており、人間は危険性を知りながら戦争リスクより原発リスクを選んだのです。
・日本だけ反原発の疑問①:反原発の人は何故世界の原発は許すのでしょうか。真に「即時の原発廃止」であれば、「日本製の原発生産を求める他国」へ働きかけるのが近道だと思います。
・日本だけ反原発の疑問②:日本が原油への依存度を高めれば原油価格は高騰し、貧しい国は原油を入手できなくなります。「日本だけ安全」を求めるのは先進国の欺瞞です。
その他、環境問題もあります。3.11後もCO2を減らす義務は続いています。他国のことも考えると、新エネルギー開発まで最低限の原発を動かすのが日本が出来る現時点のベストではないでしょうか。日本は技術立国ですから、原発停止で失う費用を、未来の技術へ投資した方が、30年後の世界貢献に繋がるのではないでしょうか。
「今原発リスクを知った人が、今の日本人感情で、今すぐ原発をやめる」という決断は、世界や未来に向けて無責任なんじゃないかな、と思っています。廃炉まで原発に関わるのが日本の責任かと思います。

by 容認派の意見を真面目に述べます (2012-10-15 19:36) 

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模範的な「最適解」ですね。同じ主張を至る所で拝見しますし、どう議論しても堂々巡りするだけでしょう。

優秀な頭脳の方が「命」を「数」に置き換えて、理論上の計算でちょいちょいと処理して(いや、多大なるご苦労をかけて)、

「ほれ、戦争より原発の方が儲かるし、おまえらが死ぬ数少なくて済むんだから、ちょっとの被ばくぐらい我慢しろ」

そう言いたいところをぐっとこらえて、三文役者よろしく眉間にしわを寄せて、苦渋の選択だと言わんばかりに「原発やむなし」と「容認」する。

その猿芝居でもって「全ての国民」をそう思い込ませることができたら、権力者の理想郷ができるでしょうし、日本は半ばそうなっているでしょうから、ご心配なさらなくてもよろしいのではないでしょうか。

自分が絶対に譲れず、譲れないがゆえに「容認しない」理由はもうはっきりと記事の中に書いてあるし、これ以上何も言うことはありませんが、少し。

「人間は危険性を知りながら戦争リスクより原発リスクを選んだ」?

どこの「人間」でしょうか? 容認派の方に共通してるのは、人間や命や心といった「質的に多様なもの」を「量的に等価なもの」に還元して、それを国家や経済や外交という枠組みの中でいとも簡単に数値化できるその「頭脳」です。

「俺は理系だから」とか何とか。そして、お勉強して一生懸命こさえた、その妄想にも近い頭の中の「計算式」を高慢にも「理性」だとか言って、万人が理解できなければおかしいかのように言う。

「人命損失」とさらっとおっしゃいますが、そこで失われるものは、他ならない「自分の命」であり「自分の子供の命」であるかもしれないわけです。

事故だろうが天災だろうが、人は病気や死を全力で回避する。ところが、そこに「国家の意思」が働いて、戦争や原発によって「一部の人間」が犠牲になることがあった場合には、どうもそれを「受け入れなければならない」らしい。

その主張を突き詰めて、「国民」である自分にもう一度当てはめてみれば、「俺は原発事故で強制移住させられたって、それで死んだってかまわない。俺の子供だって死んだってしょうがない」ということになりますし、おそらく「その通り」とおっしゃることでしょう。

だから、まずご自分でこう宣言し、人々に賛同を募ればいい。

「日本国民たるもの、国策のために死んだって病気になったって、それは国家に生きる上で受け入れざるを得ない責務なのだから、文句は言わないし、何人たりともそう考えるより他に『最適解』はない」

しかるべき後に、そう思える人と、そう思えない人が出てくるでしょう。

これが結論で、両者が和解することはあり得ないから、後は国民投票するなり、国会で議論して条例を作るなり、憲法を改正するしかない。

だから、容認派ははっきりそう言えばいいと思うんです。

自分の子供にもはっきりそう言うわけです。

「おまえは原発事故で白血病になるかもしれないし、原因不明の病気になるかもしれないし、原発作業員として徴用されるかもしれない。その時は誰も助けてくれないが、国家とはそういうものだから、それを受け入れなければならない」と。

もっと公正を期して、憲法にもそう書けばいい。「日本人は原発推進するに当り、過酷事故の際には国民皆等しくその首を差し出す義務を負う」とでも。

だから「徴兵制」や「大日本帝国憲法」なんて話が出てくるわけだし、「容認」するということはすなわちその門戸を開き、それをいずれは認める覚悟を持つということでもあると思います。

では、そんなものがもしできたとして、現実に「国民皆等しく」そうなるか?

なるはずがない。その時切り捨てられるのは社会的弱者で、支配層や電力会社の既得権益は守られる。

福島を核汚染して福島県民に除染させ、近隣住民を強制移住させて原発作業員として雇う。東京はあっと言う間に、原発事故などなかったかのように、元のきらびやかさを取り戻す(まあ、見かけ上は)。

福島原発事故がすでに証明しているのだから、それを踏まえてはっきり明文化しておけばいい。

「万が一なんかあっても大都市は安全です。被ばくするのは田舎の周辺住民だけで、その後の処理も地元でやりますから。交付金が必要なので高い電気料払ってください」

しかしそんなこと「ぶっちゃけて」書けるはずも言えるはずもない。

言えてるのはブログやそのコメント欄、2ちゃんねるぐらいだ。

だから公的には常に「安全」「絆」「愛国」と美辞麗句でごまかして、大手メディアも一緒になって下層民を言いくるめようとする。その「ごまかし」が、福島原発爆発事故によってかつてないほどに明白になったわけです。

「3.11以前から原発リスクは存在した」って、そのリスクがこんな最悪の形で現実化したのが「今」でしょう。

こんな「今」はかつてなかった。原子力発電に対してこんなに重たい「感情」を持ったことなど、今までの日本人になかったのではないでしょうか? その感情に振り回されて原発即時停止を訴えることが「無責任」? いや原発爆発させて被ばく環境下に数十万人住まわせ続ける方が比べ物にならないぐらい「無責任」だ。

3.11以後「世界は変わった」にもかかわらず、またぞろ確率論こねくり回して「同じリスク」がずっとあるかのように定量化できてしまうその官僚的な思考ははっきり「異常」です。

でも当人はそれに気が付かないから人によっては「福島原発事故では誰も死んでない」などと平気で非道な発言もできる。

強制移住も被ばくも今後危惧される健康被害も全く無視して、「今までさんざん交付金で潤って、死んでないんだからラッキーだろう」とでも言いたいかのようだ。

「感情」を排して、計算の海を自由自在に泳ぎ回る、支配層のエリートに似つかわしい、たいした「悟性」だとは思いますが、それで全てがうまく行くなら原発なんて爆発しなかっただろうし、結果的にはその「論理的」な思考こそが「失敗」を招いたわけです。

試験管の中で薬品が爆発したり、ねずみが死んだりしても何十回と繰り返せる実験とは訳が違う、一度起きれば数万人の人が人生を台無しにされてしまう「犯罪」だ。

これを繰り返してはならない、となぜ言えないのか?

それどころか、「今まで享受した利益の『代償』だから気にするな」と、まるで高みの見物、チェス盤か将棋盤でも覗き込むみたいに「リスクとベネフィット」に鑑みて、そろばんをはじいてご託宣を並べる。

その惨事を引き起こす元凶となった歴代の政治家、官僚、電力会社の加害責任には触れずに、エネルギー問題云々難癖つけて、「即時廃炉など感情的で無責任」と被ばくした被害者にはためらうことなく説教を垂れる。

「放射脳」「放射能コワイコワイ病」「風評被害デマは東電より質が悪い」

口をついて出るそれらの言葉の根っこは一緒です。

一体どちらの立場で、何を守りたいのでしょう?

「原油を巡る戦争よりは原発事故の方がマシ」と言い放てるのですから、立ち位置ははっきりしているでしょう。戦争だろうが原発だろうが、金さえ儲かれば「搾取する側」にとってはどっちでも良いわけです。

「国家のためにちょっとぐらいの犠牲我慢しろ」という支配層の暗黙の命令に対して、「ああそうですね。その通りです」と頭で分かって権力に同調するのか。「いや、それはできない」と自分の命に聞いて抵抗するか。

その二つに一つなわけです。

だから僕は後者を取る。

そして結局溝は埋まらず、堂々巡りするだけ。

廃炉まで関わる責任があるのは当然だし、他国の原発に反対するのも当然でしょう。

「今すぐ原発をやめると宣言すること」と代替エネルギーを開発することも矛盾しない。

「原発をやめること」が無責任というが、安全だ安全だ言っておいて原発爆発させることほど無責任なことはないのではないか?

「日本だけ安全を求めるのは先進国の欺瞞」?

他国に迷惑かけないために、国内の原発事故ぐらい我慢しろ、ということでしょうか。

今回の事故で海洋汚染含めて他国にもすでに十分迷惑かけてると思うし、それをなかったかのように原発輸出を目論む「官僚の欺瞞」「電力会社の欺瞞」の方がよっぽど罪深いと思う。

全ての国で原発停止を求めるように訴えかければよいだろうし、そのためにはまず自国が脱原発することが先決と考えることの何が間違っているのか。

日本が脱原発すれば石油価格が高騰する? 世界の原子力産業もあの手この手で脅しをかけてくるのでしょうから、エネルギー浪費社会そのものを見直すべきと思います。

原発停止で失う費用と言うが、20年後だろうが30年後だろうが、廃炉にしたら当然費用はかかるし、それまで稼働し続ければより多くの使用済み核燃料が出て処理費用はさらに上積みされるのではないか?

廃炉にした途端に不良債権化して、債務超過で電力会社は潰れるから、使えるうちは使った方がいい?

その間にまた過酷事故が起きたら? 隕石が落ちてなお、「隕石が二回続けて落ちるのは1億年に1回の確率だから大丈夫です」とでも言うのか?

それなら、そう言って国民の総意を取り付けてみればいい。「みんなでバクチやろうぜ! 六ヶ所村再処理工場で事故起きるかもしれないけど、戦争で死ぬよりは確率低いから心配するな」と。

誰が賛成する?

原発容認するための理由を並べ立てることが無限にできるのと同じように、「容認することに反対する」理由だっていくらでも出てくる。

そして原発を容認することは同時に、これまではおぼろげにしか見えなかったが原発爆発という失態によって「今」は白日の下にさらされた、原子力政策の「利権」「無責任」「差別」を温存することも意味する。

「世界や未来に対する責任」って、何度も繰り返すが、どこの世界の誰の未来なのか? この事故でどれだけの人間がその「世界と未来」をぶち壊されたと思っているのだろう?

で、戦争に比べれば微々たるものだ? そんな比較で方がつくなら、あと2、3個原子炉爆発したって「たいしたことない」だろう。

そういう容認思考を展開するためには、最終的に自分や子供の命を国家に差し出し、政府や電力会社が無為無策で再度事故を起こしても、「人間とは、社会とは、歴史とは、そういうものだ」と心の底からニヒリスティックに納得する覚悟が要求される。

そんな風に考えて生きたくもないし、その必要を感じることもない。

それによって僕が日本人であることが否定される根拠は何一つとしてなく、人間も、社会も、歴史も常に改革を繰り返して来たし、これからもまたそうであろう。

それが人間の「表現」であり、そこに「自由」がある。それを日本国憲法が保証している。

子供には胸を張ってそう伝えるし、そう考える「人間」は国境を超えて「世界」に存在するだろう。

それゆえ、僕は「頭の中で」自分と国家をすり替えることはしない。



正しく恐れる [原発事故]

いつも「放射能正しく恐れる」という言葉には笑わされる。

「正しさ」と「恐れ」のせめぎ合い。

危ないものを安全と思い込み、他人にもまたそう思い込ませなければならない、その強制に対する並々ならぬ逡巡。

「安全、安心です」と素直に言えたら、どんなにか楽だろう!

でも、そうは言えない、一抹の不安。

爆発した原子炉が脳裏をかすめる。

「思い込む」ことの困難がにじみ出ていて、とても感慨深い。


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