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「ある」と言ってはいけない放射能問題 [被曝]

「福島の人々にありもしない放射能問題をぶつける活動家たち」という記事を読んだ。

やっぱり放射能問題ってのは「危険か?危険じゃないか?」っていう問題じゃなくて、

「権力の命令を一般市民が奴隷としてどう受け入れるか?」

みたいな行政問題なんだなと改めて思った。

少し笑ってしまったんだけど、福島の国道清掃ボランティアについて「子どもがセシウムを吸い込む“被ばくイベント”が福島で決行された」という見出しで女性週刊誌が記事を書いたらしく、このライターはけしからんと思って弁護士に聞いたのだそうだ。するとこんな解説が返ってきたと言う。
「どんなに小さな量でも、このイベントでちょっとは追加的にセシウムを吸い込んだり、被ばくしたりしたでしょうからねえ……、被ばくイベントという表現は間違いとはいえないですよね……。原発事故によって、放射能に汚されたというのも事実ですし……」
、、、正論だと思う。

そしてこのライター自身も、
低線量被ばく問題は難しい。福島の被ばく量が先述の通り小さかったとしても、数十年後の晩発性障害を現時点で完全に言い切ることはできない。
福島の被ばくはチェルノブイリに比べケタ違いに小さい。とくに内部被ばくはあったとしてもごくわずかでゼロに近い。将来、事故由来の晩発性障害が起きる可能性はかなり低い。
と「微量ながら被害が出るかもしれない」と、一応「危険である」ことは認めている。

つまり「放射能問題はある」ってことだと思う。

だからその上でこの人の主張としては、

「ちょっとぐらいは危ないかもしれないけど『すごく危ない』とか言うな!」

みたいな話なんだと思う。

「原発事故で日本は大変なことになった。もう終わりだ」

と言うのに対して「もう『終わり』とか言うな!どこがどう終わってるんだ?」とか

「健康被害が出る。阿鼻叫喚の地獄だ」

「阿鼻叫喚はいつ始まるんですか?」とか

「危険なのはそうだけど『言い方が悪い』」

みたいな話なんだ。

例えば、暴行事件の被害者が

「あの犯人は絶対許せない。私は人生を台無しにされた」

と言ったとして、

「はあ?人生台無しにされた?もっと悲惨な人いっぱいいるよ」とか

仕事で大失敗した人が

「俺はもうダメだ。生きて行けない」

と言ったら

「はあ?生きてるでしょう。死ぬの?いつ?」

とか言う感覚だと思う。でもなかなかそういうことは言わないでしょう。

放射能の問題は「いつ、どこで、だれが、どのような健康被害が出るか分からない」という「完全に言い切ることはできないことの不安」にあるわけだから、そこで

「どうなるか分からないから不安だ」

と言うのは何も異常なことではないと思うのだが、

その人に向かって、

「どうなるか分からないんだから不安だとか言うな」

みたいな感じなんだ。

でもそれもなかなか言いづらいから「原子力緊急事態」を解除しないんだろう。これが継続している限りどんなに不安に思おうが「20ミリシーベルト許容するしかないよ。受け入れる?受け入れない?」みたいな2択に究極的には持ち込むことができる。

「放射能は危険だ!」と誰かが言ったところで「危険だよ。だけど緊急事態だから。しょうがないから。受け入れるの?受け入れないの?」という話にしかならない。

つまりこの「原子力緊急事態」の中では「多少の放射能は目をつぶろう」という話なんだろうけど、「放射能は危険である」ことは未だに原子炉に近づけず作業員がフル防護装備で仕事してるのを見れば明らかだから「危険である」ことはどうしても認めざるを得ない。

だから「放射能に多少は目をつぶりましょう。それに薄まればそんなに危険ではないですよ」ぐらいの落とし所を目指しているし、実際そういった説明によって国民の大半は「ただちに影響はない=安全だ」ぐらいの短絡思考で「まあしょうがないか」と納得してるんだと思う。

だから「みんな緊急事態で我慢してるんだからイチイチ気にさわること言うな!」と言うことなら「まあ、それもそうだね」と思う。

しかしそれなら「ありもしない放射能問題」ではないだろう。「あるんだけどあんまり大きい声で『ある』って言ったらダメな放射能問題」だと思う。


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