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悪いことばかり考える [雑感]

悪い事ばかり考える人というのがいる。

「悪いこと」を考える人は行動を起こすことをためらう。

そして「悪いこと」を避けるための理由を並べて、「計画を中断する」「行動しない」「コミットしない」「逃げる」という選択をする。

ところがそうやって「何もしないことを積極的に選ぶ」と、なぜか何もしてないにもかかわらず「安堵」の気持ちが訪れる。

それどころか、むしろその「安堵」のせいで「何かを得た」ような気分になる。

これはおかしな話だ。

実質「0」なのに気持ちだけが「バーチャルなプラス」になっている。

まるで自分で作り出したマイナスの気分にマイナスの行動を乗算したから「プラスになった」みたいな充実感だ。

こういった「観念論」が人々の心を支配している理由は、みなが「お金」とか「経済」に基づいた労働と消費の世界に生きているからで、そこで醸成されるこの観念は「心理学」よりはむしろ「金融工学」として解明されると思う。

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逆に「良いこと」について考えてみよう。

「良いこと」は「現実的なプラス」で、自分の目の前に結果が残り、それを他人も共有できる状態を言う。

だからそれを現実のものとするためには行動を起こしコミットし、その観念を物質として客体化する以外にない。

そのためには自分の頭の中の「観念」から外に出て、予測できない不確定性のカオスである「世界」を相手にしなければならない。

「説得力のある企画」とか「他人との交渉」とか「うんざりする単純労働」とか「ねじ伏せなければならない物理法則」とか。

だからほぼ必然的に「失敗」を含む。

つまり行動する過程のどこかで必ず「失敗=悪いこと=マイナス」を生じさせてしまう。

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人は根本的に「良いこと」を欲する。「良いこと」というのはうれしいことであり悦ばしいことであり快活で自分の生を肯定する観念だ。

にもかかわらず、その「良いこと」を現実化しようと努力すると必ず「失敗」が起きるから、それが「悪いこと」として思い描かれる。

だから「悪いこと」は「良いこと」の派生物として生じる。

しかもプラスになるよりはマイナスになる確率の方が高い。

「想像」や「観念」は自分の頭の中で閉じた「確定性」を相手にできるけど、「行動」は世界という「不確定性」を相手にしながらなおかつその取り組みを「続けなければいけない」からだ。

頭の中で一瞬で作り出せる「成功」も、現実の行動においては辛い努力の果てにしかやってこない。

だから「始めることは簡単」であり「成し遂げることは困難」だ。

努力をしても徒労に終わるかもしれないと思えば人は「ひるむ」。

ひるんでびびって「失敗したくない」と思う。「良いこと」を望めば望むほど、それが高ければ高いプラスであればあるほど、逆にコテンパンに打ちのめされるドン底のマイナスを作り出してしまうかもしれないから恐くなる。

恐くなるから逃げたくなる。

そこで「悪いこと」だけを考える。「悪いこと」が巨大であればあるほど、それが乗り越え難く目の前に立ちふさがれば立ちふさがるほど、自分がそこに「挑戦しない理由」をより確固たるものにすることができる。

「俺は誰にも負けない善い行いを為そうと欲しているのに、世界は絶望的に無理解でその善を踏みにじる」

「俺がツイていないのは世界のせいだ」

「世の中が悪い」

そう言ってしまいには「世界を悪」に仕立て上げる。

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もはや「世界は悪」なのだから、自分がどんなに「良いこと=プラス」を実現しようとしてもマイナスにしかならない。

それなら「何もしない」方がマシだ。

「0」の方がいい。

現状維持だ。

良かった。少なくとも俺は失わずに済んだ。

このまるでマッチポンプみたいに脳内で生成される「安堵感」。

ヴァーチャルな「お得感」。

こういう「錯覚」を作り出す人間は「努力」を恐れ、翻ってそれをバカにするようになる。

本当は努力する他人に対して「おまえがやっている努力はムダだ」と小馬鹿にしたいのだが、それを言ってしまうと自分が作り出した「錯覚」も、それによってひた隠しにする自分の「みじめさ」も露になってしまうから嘘をつく。

つまり「自尊心」のために「物事の悪い面」だけを強調するのだ。

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人間は「良いこと=プラス」を欲するが、現実の「悪いこと=マイナス」の総量は必ずそれを上回る。

(自然は無慈悲で善も悪も持たないから、人間の観念上にある『良いこと』は常に裏切られる)

だから「悪いこと」の方がより多く現実化し、「悪いこと」ばかり考えている人の方が「よく当たる」。

「人は死ぬ」と言えばそれは100%正しく、同様にいつか必ず「世界は滅びる」。

つまり「悪いことばかり考える人」は必然的にいつも正しい。

ところがその「正しさ」と引き換えに「努力とその中に生じる悦び」を放棄する。

資本主義という悪魔が人間のエゴにかけた「呪い」のせいで、彼は「生きる悦び」よりも「己の正しさ」を証明することにその人生をかける。



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