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くやしがる子供 [育児]

子供は、とにかく自分が思う通りにならないと気が済まないものだ。

家の子供も2歳ぐらいの時からずっとそうで、朝起きてお母さんに起こしてほしいところで僕が起こすと、

「おとうさんやだー!あっちいってー!」

無理矢理顔洗おうとしても「やだー!」

パンが食べたいと思ってた時にご飯が出たら

「ぱんがいいー!ごはんやだー!」

そういえば、一時期焼いたクロワッサンのパリパリの皮をはがして、ふわふわの中身と別々に食べるというのにこだわっていた時は、自分でやろうとしてその皮がちょっとでも崩れようものなら、

「ぎゃー!こわれちゃったー!」とか「穴開いちゃったー!」とか大泣きする。

それで「よし、お父さんがやってやる」と、まるで手術でもするみたいにその中身を取り出す時もあるのだが、それでも、

「やだー!ちがうー!」

と何がどう「違う」のかさっぱり分からない。

(バナナの皮をむいた時に途中で折れると「折れちゃったー!」と泣きわめくこともあった)

妻の方はそういう「わがまま」に対して(まあ、わがままではないのだが)、よく「何?どうしたいの???いいよ、じゃあもう食べなくて!」みたいに切れることがあったが、僕は「なるべく」怒らなかった。

まあ正確には『できる限り感情的にならないようにした』というだけで、いい加減ぶち切れそうになることもある。

「何?どこがどう違うの?分からないよ。ここ?こうすればいいの?これでいいか?もうこれしかできないよ!いつもと同じだよ!食べてごらん、おいしいから!」とかだんだん声が荒くなって、ほとんど投げやりになる。

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うちの子はどうしてこんなに些細なことにこだわって、「ちゃぶ台をひっくり返す」ようなことをするのかと思うが、

子供には子供なりの正当な理由があって、そうしてるんだと思う。

結局、「こうしたい」とか「こうあるべき」というイメージが、現実にはそうならなかったから、「面白くなくなった」のだ。

大人だって同じだ。「ああしよう、こうしよう」と常にイメージして、それがうまく行くように段取りして、うまく行かなければ反省して、気を取り直してやり直す。

失敗や失望の原因を「過去」にさかのぼって考え、独りよがりにわめき散らせば周りに迷惑をかけるであろうと「未来」を予測し、「現在」を相対化して感情を押さえ付けて「平静を装う」。

しかし、それが取り返しのつかない失敗であれば、「ああ、何やってんだ!」と自分に憤り、他人に対して「何やってんだよ、まったく!」と怒鳴り散らすことだってあるだろう。

ところが子供には現在しかないから、今できないことは永遠にできないし、今壊れてしまったものは永遠に壊れたままになる。

だから大人にとっては些細なことでも、子供にとっては絶望的な喪失感になる。

例えば自分が何よりも大切にしていたガラス製品か何かをうっかり壊してしまったら、涙を流して悔しがる人もいるだろうし、「何そんなことで泣いてるの?」と言われたらカチンと来るだろう。

絶望感の「質」なんてものは、その当の本人にしか分からないものだ。

だから僕ら親は、その幼い心の「絶望」を理解してあげなければならないのだが、いくら言葉で大人が考えるような「理由」を「説明」したところで、子供に「意味」など伝わらない。

大人にとっては当たり前の「理由」も、時間・空間・言語の体系の上で、あるいは社会的な習慣の中で、相対的な意味を持っているだけで、絶対的な真理ではない。

よく「子供は何でもちゃんと分かっているから、きちんと言葉で説明すれば伝わる」とか言われるが、僕はまったく信用していない。

それでうまく行ったとすれば、子供は親の顔色を伺って分かったふりをしてるだけだと思う。そういう自己保存的な狡猾さなら子供も持っている。

子供が不本意ながらも「規則」に従えば、大人は「良い子だね」とほめてくれるから、子供は条件反射的にそれを身につけるのだ。

もちろん言葉で説明し、規則を習慣化することは大事なことだ。

だけど、言葉は単なる「目印」に過ぎない。

現在しか生きていない子供を説得する唯一の手段は、子供を別な「現在」に連れ出して、伝達したいことを身をもって「経験」させてあげることだ。

だから(シュタイナー教育にもあることだが)、とりあえず子供の気をそらせる。あるいは「全く別なこと」をする。

抱っこして、窓の外を見て、「あ、ねこちゃんあんなとこで何やってるのかな?」とか。

うまくいけば「え?何?おさんぽしてるんじゃない?」とか反応するので、しばらくしてから「じゃあご飯食べよう」と言うと、

「まったく何事もなかったかのようにケロッとして」さっきまであれ程問題だらけだったクロワッサンをおいしそうに食べ始める。

もちろん気をそらす作戦が逆効果になって、ギャー泣きがさらにエスカレートしてどうしようもなくなる時もある。

そういう時は、放っておいて洗い物などする。

時間はかかるが、10分以上ぐずり続けたことなどめったになく、たいていの場合、突然あっけなく機嫌が戻って、普通にパクパク食べ始める。

そして照れ隠しでもするかのように、「昨日階段のところにでっかいチョウチョいたよ」とか全く関係ないおしゃべりをする。

まったく理解不明なのだが、子供の絶望は特殊で、それを「忘れる」にも子供独自のプロセスが必要なのだろう。

それを僕らの飼い馴らされた思考と同列に考えて、早く「区画整理」する必要もない。

うちの子供は、だから、社会的に見ると「わがまま」に見えるのかもしれない。

時々食べかけを残したまま「ごちそうさま!」と席を立つことや、「食べたくない!」といつまでも席につかずに寝転んでぐずってる時もあるし、その時は「こら!」と怒鳴る時もある。

ところが、ほとんどの場合しっかり食べるのだ。

それに、誰か他の家族と一緒にいる時などはそれこそ「良い子」にしてるし、時々おそろしくピュアな一面を見せる時もある。

じゃあ別にいいじゃないか、それぐらいムラがあったって。

そういう子供の感情なり気分の「起伏」は、子供が時間や言語の体系を「経験」を通じて身に付けた時に、自然と自発的にコントロールできるようになるものだろうから、無理矢理ならして「社会化」して「良い子」にしたところで、実はもっと大切な力を抑圧してしまうだろう。
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おのっち

以前から読ませて頂いています。一度コメントもさせて頂いたかと思います。アメリカから帰国し、横浜に戻りましたが、移住について現実的な検討に入っています。帰国前は戦々恐々とした気持ちでしたが、帰ってきてあまりにも何もなかったかのようなこちらの空気に呑み込まれそうになり怖ろしくなったりもします。生活は細かなところで大きく変わりました。食材の買い物、水、遊ぶ場所など、だいぶなれましたが、原発の事故が起こるということは本当に大変なことなんだと痛感です。

原発につながる投稿の中、こどもについてのこの記事がなんだか新鮮で、そして同じように小さなモンスター(6歳と2歳)とつき合っている自分の中に「そうそう!」と感じる内容だったので思わずコメントしました^^子供と生きていると、いつから自分が(大人が)理性や理屈でものごとを考えたり整理したり自制したりするようになるのかなあと不思議になることがあります。我が家の6歳の娘は自由奔放なタイプでそれをできるだけ損なわないように育ててきていますが、それでもすこしずつモンスター度が落ちてきて、ホッとしているような淋しいようなそんな時期になりました(笑)。

小さいけれど、明らかに自分とは違った人格をもつ生きものに右往左往しながらも、自分の中に眠っているものを時々上手く引っ張り出してもらいながらの毎日です。

とりとめなくすいません。
by おのっち (2012-09-21 01:09) 

colin

モンスター度が落ちてきましたか、、、。無理矢理しつけなくても、自然にそうなるのでしょう。そうすると「天使度」も落ちるような気もするので、なるべくモンスターも天使も長く続けてほしいと思ってます。

移住ご検討とのこと、賢明だと思います。小学校に入ると給食が厳しいですね。
by colin (2012-09-22 03:58) 

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