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3月12日:NHKが福島原発の真実を伝えた日 [原発事故]

「あの日」のことを考える。

2011年3月12日。震災翌日。一晩中続いた余震にあまり眠れず。

テレビを見ると、原発の冷却機能が停止、圧力が高まっている、ベントする、というような一連の危機的なニュース。

妻が「どうしよう?逃げた方がいいよ。飛行機調べて」と言うので、まさかそんなことはないだろうと思いながら、航空会社のウェブサイトで西に逃げるため家族分の空席を確認しておいた。両親には「原発がやばいから、とにかくこっちに向かってくれ」と午後3時ぐらいに電話した。

nhk-110312-1700.jpg

その直後、上の画像のように、爆発前の1号機と爆発後骨組みだけになった1号機の比較画像がNHKニュースで映し出された。(テロップにある『ANA大阪〜福島臨時便』には一体誰が乗ったのだろう?一応脱出用の手段は用意した、というサインだろうか?)

Youtubeで当時の録画映像を見ると、午後5時ぐらいのものしかなくて、NHK科学文化部の山崎解説員が「放射性物質が大気中に放出された可能性がある」「家の中にいてください。外に出ないでください」 「窓や扉を閉め、換気扇を止めてください」 「屋外にいる場合は皮膚を露出しないようにし、速やかに屋内に逃げ込んでください」 「避難の際はマスクをし、ハンカチ・タオルを濡らして鼻や口を押さえて移動してください」とか、緊迫しながらも適切な「原子力災害」の指示を出している。この時点ではきっと、「本当にどうなるか分からない」状態だったんだと思う。

しかし、NHKで一番最初に建屋外壁が吹き飛んだ1号機の「骨組み」が「静止画像」として流された時は(上の画像よりもっとクローズアップしたものだった)、たぶん爆発30分後の午後4時ぐらい、解説者もあっけに取られてる感じで「避難指示」どころではなかった。しかし、それゆえに、この福島原発事故に関して言えば、限りなく「真実に近い」報道だったと思う。

アナウンサーが何か「見てはいけないものに『はっ』と気が付いた」とでも言うように、「ちょっとこちらをご覧下さい、、、上が午前9時、その下が午後4時ぐらいの1号機です。外壁がなくなって骨組みだけになっているように見えますが、山崎さん、これは、、、」と何か全く未確認のソースなのに非常事態だから「やむを得ず」ぶっつけ本番でそのまま報道するしかないんですけど、、、というように山崎解説委員にコメントを求める。

山崎さんはそれを追認しただけだったように思うが、決定的だったのはその言葉を受けて、それまで楽観論をぶっていた東大の関村教授が、驚きのあまり自分の仕事を忘れてしまったのか、御用学者として絶対言ってはならないような「本音」を口に出してしまったのだ。

「これがもし事実だとすると、非常に深刻な事態が考えられます、、、」

要するに、御用学者が思わず「真実」を語ってしまうほど、この瞬間は極限まで緊迫していたのだと思う。

僕は、頭を鉄槌で打ち砕かれたような衝撃を受けた。いや、むしろ字義通りに、僕の思考も価値観も、何もかもがあの瞬間、粉々に吹き飛んだんだと思う。

「チャイナシンドロームだ!」と思った。

同時に「何で静止画像なんだ?爆発で吹き飛んだのになぜ動画を流さない?フォトショップで煙を消したのか?パニックになることを恐れて『爆発』を隠しているのか?」と疑った。

頭の中でメルトダウンする燃料が地下にめり込んで行くところを想像しながら、「関東まで24時間で放射能が来るぞ。今すぐ飛び出してもしょうがない。もう二度とここに戻って来れないかもしれない。必要な物を揃える時間がいる。明日の朝までに脱出すれば大丈夫だろう」と明朝一番早い飛行機を予約した。妻の両親にも「今すぐこっちに向かうように」伝えた。

なぜ「24時間」と思ったのかよく分からない。いつだったか知らないが、もし福島原発で事故が起きたら、24時間で関東に放射能が到達する、という予測データをどこかで読んでいたんだと思う。

radiation-circle.JPG

イメージとしてはこんな感じで、この時は「放射能」というのは、何か「光」か「電磁波」のように、同心円状に拡散していくと思っていたし、それに触れたら人も物も全て放射化してしまうような、言ってみれば「原爆」の「ピカッ」のような印象を持っていた。

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父に電話すると「今出るところだ」と言う。

「テレビ見た?原発のこと何かやってる?」(なんでこんな聞き方したのか分からないけど、もしかして情報統制されてるんじゃないかと思ったのかもしれない)

「ああ、何か、さっき『白い煙』みたいなの出てたけど」と父。

「原発爆発したんだよ。とにかくすぐ出て」

「ええ??」

後で聞いたら、「ドーナツ状の白い煙」だったと言うから、一号機の爆発映像に間違いない。おそらくほぼリアルタイムで水素爆発の白煙をテレビ中継したところがあったんだと思う。ただ、『爆発』という説明はなかったのだろう。

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刻一刻と放射能が迫ってくる。雨戸を閉めてマスクをする。何かに取り憑かれたように家の中を動き回りながら、「どうする?どうする?」と自問自答した。「食べ物が全部汚染される。おにぎり作ろう」と思って、ご飯を炊いておにぎりを握り始めた。妻は子供にもマスクを無理矢理付けさせて、カッパを着せ、昆布を茹でて食べさせた。(昆布がヨウ素被ばくに効かないのは後で分かったが、おにぎりといい、昆布といい、思い返せば馬鹿みたいだ。しかしとにかく必死だったのだ)

パスポート、通帳を用意したり、生ゴミや冷蔵庫の中身を捨てたりしていると、妻が「そんなことしなくていいよ」と言う。

「何言ってるの?二度とここに戻って来れないかもしれないんだよ」と僕。

直観的に「戦争に巻き込まれた」と思った。

自分が生きている間に日本が戦争に巻き込まれるなんて絶対ないと思ってたのに、俺は戦争に巻き込まれたのだ。今から『亡命』するし、ここに帰ってくることは二度とないだろう。そう思った。(その後僕と妻は交代で仕事や片付けに戻ったし、別に外国に亡命したわけでもない。でも『戦争』というのは決して比喩ではないと思う)

きっと明日の朝になったら、首都圏は大混乱になって、羽田空港にたどり着けないかもしれない。だから夜のうちに羽田に向かった。

首都高湾岸線が封鎖されてたので、一般道は長い渋滞だった。「やっぱり皆脱出するのか?」と不安に思ってたら、有明辺りから急に道が空いて、羽田に着いたら、「全く」と言っていいぐらい人がいなくて拍子抜けした

車中のラジオでは「水素爆発」で建屋が壊れただけで、大規模な放射性物質の漏洩はない、ただちに影響はない、と盛んに繰り返していて、正直「なんだ」と思った。

しかし、これが本当かどうかなんて誰にも分からない。もしかしたら震災に加えてのパニック回避のために、重大事故を隠蔽してるのかもしれない。妻の弟は電話で「メルトダウンしている」と言った。その可能性は否定できないと思った。

だから、その日は羽田空港近くのホテルに泊まって、翌朝一番の飛行機に乗った。子供も3時間ほどしか寝なかったのに、よくがんばったと思う。

その後2号機から4号機まで全て爆発したのだが、その時にはすでにNHKも報道規制なのか「水素爆発」「建屋の爆発」「格納容器は健全」「大規模な放射能漏れはない」「ただちに影響はない」と安全よりの情報が繰り返されていたので、「爆発したが、それほどでもなかったのか?」とも思った。

しかしそうではなかった。

爆発の時に膨大な量の放射性物質が放出され、それは僕が考えていたように同心円ではなく、風に流された「雲」となって15日21日と関東を襲い、人々を被ばくさせ、水と作物を汚染し、雨によって土に染み込んだ。そんなことが分かったのは何週間も経ってからだ。

1号機は「メルトスルー」というチャイナシンドローム状態に僕らが避難した日に(あるいは震災当日に)陥っていたのだから、僕が「あの瞬間」に直観したことの方が間違っていなかったのだ。

だから、NHKがあの「静止画像」を「よく分からない生原稿のまま」放送してくれたことは一つの良心だったと思う。もしかしたら、この事故の「深刻さ」が「規制なしで公共放送の電波に乗った」唯一の瞬間だったのではないかと思う。もしあれを最初から検閲して、「水素爆発による建屋の破壊で、放射能は漏れてません」と断定的に報道していたら、事故の印象はもっと矮小化されたのではないだろうか? (実際、4号機はあれだけ徹底的に建物全体を破壊する爆発を起こしていながら、「映像がない」せいで、そこから放射性物質など放出されていないかのように簡単に結論付けられている。)

あの「1号機の骨組み」を見た瞬間に奈落の底に突き落とされなかった人に、あれ以上の絶望がやってくることはないと思う。もしやってくるとすれば、4号機が倒壊するとか、もう一度水素爆発するとか、もしくは得体の知れない健康被害が急増した時だと思うけど、それでもそれらのニュースは、あらかじめコントロールされた報道になると思うし、何よりも僕らがもう「放射能」に慣れてしまっている(恐ろしく悲しいことだが)。

あの瞬間、自分の中で何かが「ポキッ」と折れてひん曲がって、それがいびつなままずっと心に引っかかっている。

そして、本当に、僕らの人生はあの時「折れ曲がってしまった」のだ。


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emi

はじめまして、ブログとても興味深く読ませていただきました。
私も震災後すぐ関東から関西に避難しました。
主人が少しだけ自由が利く仕事なので、この10ヶ月間のうち、
6ヶ月くらいは関西に家族で住むことができましたが、
それ以外は主人だけ関東に戻ったりして生活していました。
子供がおりますが、もう二度と関東に戻すことはないと思っています。

管理人さんはご家族で行動を共にされていて、すごく羨ましいです。
うちは去年はわりと主人とも生活をともに出来たのですが、
今年は主人が関東にいなければいけない時間も多くなるらしく、
不安な気持ちでいっぱいでいます。
できるならば、家族そろって移住したいのですが、なかなかそうも
いかないので。

周りは、先の収束宣言???もあり、完全に原発事故なんて
なかった、終わったかのような空気です。
もう大丈夫だよ、戻ってきなよ、と関東の友達によく言われます。
なにを根拠に大丈夫と言っているのかとても疑問です。
でも、関東に今住んでいる人に何も言うことなど出来ません。

東電にも政府にも、本当に腹が立ちますが、何もできない自分にも
腹が立ちます。
原発に無関心で生きてきてしまった自分にも本当に腹が立ちます。

思うがままに書いてしまってすみません。
これからもブログ楽しみにしてますね。




by emi (2012-01-29 03:11) 

colin

去年の6月のAERAの調査だと、子どもを避難させている人は関東で0.3%でした。今も避難、というかもう「移住」ですね、している人はどれぐらいいるのでしょう。僕も今は家族と離れて仕事しています。2ヶ月に一度ぐらい戻ってますが、意外に何とかなってます。子どもが避難先で楽しそうにしているのが救いです。原発に無関心だったとのことですが、電力会社が嘘を付いて来たのが悪いので、電力会社に腹を立てるだけでいいと思います。「避難」は原子力に対する体を張った「NO」だと思います。
by colin (2012-01-29 23:49) 

ペルソナ


私もあの日のことは一生忘れません。
そして、あの日から日本は戦時下にあることも。
時間の経過と共に忘れ去られ何事もなかったかのように
人々が普通の(事故前の)生活をしていることが私には
不思議でなりません。
東京在住ですが昨年の秋にマイコプラズマ肺炎に罹り、
最近はノロウイルスにやられました。
放射能とは直接関係ないかもしれませんが
免疫力が下がってきたのは確かなように感じる昨今です。
by ペルソナ (2012-01-30 04:30) 

colin

杉並区の小学校の校庭のブルーシートから数万ベクレル/kgのセシウムが検出された時、TVでインタビューされたある母親が「びっくりしました。『こんなところまで』飛んで来てるんですね」と答えた、とどこかのブログで読みました。どこか違う惑星の話のように感じます。
by colin (2012-01-31 01:16) 

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