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チェルノブイリ原発事故直後の放射線量 [原発事故]

チェルノブイリに比べれば福島原発事故の規模は10分の1だ、とかよく言われるのだが、果たしてそうなのか。

今までいろいろネットで調べて来て、たしかに、爆発の状態や事故処理の仕方を見ると、福島はチェルノブイリほどではないのではないか?と自分は思ってきた。

チェルノブイリ原発事故による放射能汚染と被災者たち(3) 今中 哲二(「技術と人間」1992年7月号に掲載されたもの)に目を通す。

チェルノブイリ原子力発電所の4号炉で事故が発生したのは、1986年4月26日午前1時24分頃である。

チェルノブイリ原発従業員の町、プリピャチ市では、同日午前4時ぐらいから対策会議が始まったが、その日はすべての学校で予定通り授業が行われた。(ただし、多くの学校では、窓を閉め切り屋外の授業を中止したりした)

なかには、煙を吐く原子炉を眺めながら、アパートの屋上で日光浴をした人もいたと言う。これはチェルノブイリ原発の作業員を描いたドキュメンタリーにも出てきて「まさか」と思ったが、実際それぐらいのんびりしていたのかもしれない。しかし、発電所関係者のごく一部の家族だけは、窓を閉めて家に閉じこもり、ヨウ素剤を飲んだりしたようである。

1986年ソ連報告書によると、4月26日午前9時のプリピャチ市内の放射線量は、14~140ミリレム/時であった。

1ミリレム=10μSv

つまり、チェルノブイリ原発事故当日、プリピャチの空間線量は140〜1400μSv/hだった。そこに4万5000人の人がいた。

翌日27日発電所に近い側にあるクルチャトフ街の午前7時の放射線量は、180~600ミリレム/時、つまり

1800 〜6000μSv/h(1.8〜6mSv/h)であった。

昼頃、次のようなラジオ放送が流された。

「皆さん、チェルノブイリ原発事故に関連して、避難が布告されました。身分証明書を携帯し、必要なものと3日分の食料を持参して下さい。避難は14時に開始されます。」

市内の各アパートには、計画に従って、共産党のメンバーが避難の誘導員として配置された。市内の放射線量は徐々に上昇しつつあった。午後2時、バスへの乗り込みが始まった。事故の発生からすでに36時間が経っていた。避難作業中の放射線量は、290~1400ミリレントゲン/時であった。

100ミリレントゲン=935μSvぐらい?

つまり、2700〜13000μSv/h(2.7〜13mSv/h)もあった。

住民たちは整然と避難したという。2時間後には、プリピャチ市はほぼ無人の町となった。

2週間後の5月10日に、放射線量の分布図が作成され、放射線量が50μSv/hを越える汚染地帯からも避難が実施された。30~50μSv/hのところは厳重監視区域とされ、子供と妊婦の一時的な避難が義務づけられたという。

以下はチェルノブイリ原発事故の5日後(1986年5月1日)の周辺30km圏内の放射線量率(ミリレントゲン/時)だが(チェルノブイリ原発事故 今中 哲二より引用)、

Image128.gif

10km圏内で1mSv/h〜3.5mSv/hぐらいあって、30kmぐらい離れた場所で、45〜170μSv/hぐらいあるが、逆に5kmで10μSv/hのところもある。

さらにこれも驚くべきことだと思うのだが、同報告書の事故直後のプリピャチ市内の放射線量率(1986年ソ連報告書より)というのを見ると、

Image127.gif

事故発生から40時間後に空間線量は場所によって4mSv/hから13mSv/hまで上がって、それが4日間以上も続いているということだ。

これがチェルノブイリ原発の原子炉爆発を鎮火できなかったために、放射性物質が大量に噴出し続けたことによるものだとすると、30km圏でも放射線量が45〜170μSv/hぐらいで数日間続いたのだろうか?

福島ではどうだったか。ウィキペディア福島第一原子力発電所事故の経緯参照

750px-Fukushima_Dosis_qtl1.jpg

3月12日15時36分頃、1号機で水素爆発が発生した時、敷地内モニタリングポストで1015.1μSv/hを観測。

3月14日11時1分に3号機が爆発。21時37分、福島第一原発の正門付近でこれまでの最高となる3130μSv/hの放射線を観測。22時7分、福島第一原発の10km南に設置されていた放射能のモニタリングポストで、通常の260倍にあたる9.6μSv/hの放射線量が観測された。

3月15日6時10分、2号機圧力抑制室(サプレッションプール)爆発

6時14分 3号機から煙、4号機で爆発

9時、正門にて、これまでで最高の11930μSv/h(11.93mSv/h) を計測。

9時38分 4号機で火災

10時22分、3号機に関し、周辺で400mSv/hの線量を測定

3月16日 8時37分 3号機から白煙

10時以降、観測される放射線量が上昇し、同40分には正門で10mSv/h、また12時30分にも正門で10.85mSv/hのガンマ線が検出された

同日20時40 - 50分、文部科学省は、住民に屋内退避指示が出されている福島県浪江町内の福島第一原発から約20キロの距離の山間部地点、川房・昼曽根・尺石の3ヶ所にて車内外で計測、195 - 330μSv/hの放射線量を観測したと3月16日に発表。

(この後20日の3号機の異常についてはウィキペディアでは触れられていないようだ)

この経過を見る限り、3月15日に2号機爆発、3号機から煙、4号機爆発と続いた時に、12mSv/hを計測しているのが最高だ。(もちろん3号機周辺で400mSv/hというのは出ているが、チェルノブイリでも原子炉近くは即死レベルの放射線量であっただろう)

周辺地域では、これは朝日新聞の記事にも出ていたが、文部科学省が車で計測したものが、20km地点で195 - 330μSv/hを記録している。この値自体は、チェルノブイリの20km圏事故5日後の数値と比べて桁違いに低いというわけではない。

プリピャチの位置と福島原発正門の位置は、原発からの距離が同じではないと思うが、単純に数字だけ比較すると、

プリピャチ 13mSv/h
福島原発正門 12mSv/h

が放射線量の最高値となる。爆発直後の放射線量としてはあまり変わらないものとしよう。

福島原発では、上の図にもあるように、放射線量は爆発的事象の直後に急増し、また急激に下がっている。それにその環境下にいる人間は、防護服を着て防毒マスクをしているだろう。

ところが、チェルノブイリの方はその最高値が数日間続いている上に、その中を、一般市民4万5千人が1200台のバスで避難したのだ。

30km圏内を比較すると、福島は文部科学省の20km地点の計測しかないので、その最高値を見てみる。

福島20km 330μSv/h
チェルノブイリ20km 400-1200μSv/h

という感じだ。チェルノブイリの方が高いが、文部科学省の方は3地点しか計測していないし、原発近くの数値が同じことを考えると、場所や時間によっては福島にももっと高いところがあったかもしれない。

10km圏だとチェルノブイリで1000〜3500μSv/hが記録されているので、福島の10km圏でも、爆発直後に計測すれば風向きによってはそれぐらい出たのかもしれない。

つまり「瞬間的な放射線量」を考えると、福島もチェルノブイリもあまり変わらないのではないか?と思える。

だから、「事故直後のプリピャチ市内の放射線量率」に注目したいのだが、チェルノブイリの場合、その「異常な放射線量」が、数日間続いたということは考えられないだろうか?

そうなってくると、福島とはかなり状況が違ってくると思う。

福島でもたしかに爆発は起きたのだが、それは1〜3号機格納容器から漏れた放射性物質、3号機燃料プールで即発臨界し揮発した燃料棒(はっきりとは分からないが)、そして謎の21日のプルーム、いずれも爆発とともに大気中に放出され、放射能雲の「固まり」になって流れ、通り過ぎた

チェルノブイリは原子炉そのものがむき出しとなって、火災と共に、放射性物質が降り注ぎ続けた。

そう考えていいのだろうか?

だから、その異常に高濃度な放射線量の中に、プリピャチの住民は1日半、他の30km圏内の住民9万人は10日間ほど生活していたことになる。

1986年のソ連報告書では、「4月27日にプリピャチ市民4万5000人が避難し、それ以外に原発周辺30km圏から事故後2、3日間で住民9万人が避難した」と述べられているが、この記述も事実ではないらしい。

実際はプリピャチ市以外、30km圏の住民の避難が決定されたのは、事故から6日もたった5月2日のことであった。プリピャチ市以外、30km圏の大きな町は、南東15kmに位置するチェルノブイリ市(人口1万2500人)だけで、残りは農村地帯である。これらの地域の避難は、事故発生から10日後の5月6日に完了したという。

その10日間、もちろん様々な規制はあったようだが、人々は降り注ぐ尋常ならざる放射性物質の中で生活していた、と考えていいだろうか?

1991年に明らかになった事故対策作業グループの秘密議事録(アラ・ヤロシンスカヤ『事故直後の放射線障害と10年後の状況』より)を見ると、被曝者数や急性放射線障害など、相当ひどい被害があったようだ。

例えば
1986年5月10日,「この2日間で4019人が追加入院した.その中には子供2630人が含まれている」というシチェーピンの報告を了承.「入院して検査および治療をうけている者は8695人で,そのうち238人に放射線障害の兆候がある.その中には子供が26人いる.この1日で2人が死亡し,33人が重体である
こんな感じである。

この議事録が残されている理由は、

「モスクワ第6病院においてアメリカ人の医師が働いていることを考慮し,当該病院において治療中の病人の数と病状について適切に発表する」ためだったらしい。

つまり、もし仮にアメリカ人スタッフが働いていなかったら,世界の人々は永遠に何人のチェルノブイリ原発事故被災者が治療されたのか知ることはなかったと思われる。

こうして見ると、チェルノブイリ原発事故は、やはり相当過酷な事故であったのではないかと思う。

ただし、これは空間線量と放射線障害の数だけを比較してのことだ。

福島には福島固有の問題がある。

一つはセシウム土壌汚染がなぜこれだけ広範囲、高濃度なのか?ということだ。

爆発直後の空間線量だけの比較で言えば、当然土壌汚染の程度だって低いはずだし、放出された放射性物質が10分の1以下でしかもその大半は海に流れたとするなら、さらに低いはずではないか?

ところが、東京でも場所によってはチェルノブイリ第四区分の放射線管理区域になるぐらい、セシウム沈着量が異様に高い。

そして、今回参照した報告書を書いた今中助教本人が、飯館村について土壌汚染は「チェルノブイリ強制移住以上」と言っている。

土壌汚染「チェルノブイリ強制移住」以上 京大助教試算京都新聞2011年03月28日 15時52分 】
今中助教は、土壌のセシウムで汚染の程度を評価した。汚染土を表面2センチの土と仮定すると1平方メートル当たり326万ベクレルで、1986年の旧ソ連チェルノブイリ原発事故で強制移住対象とした148万ベクレルの2倍超、90年にベラルーシが決めた移住対象レベルの55万5千ベクレルの約6倍だった。
チェルノブイリを研究する学者が、まさか考えられないデタラメを言うとは思えない。

だとすると、原子炉の出力数や、爆発時の炉内核生成物の核種比率や、空間線量では計算に表れない何かが、拡散したのではないか? と考えてしまう。

となると、やはり、使用済み燃料プールか、3月20日の3号機再臨界か、だと思う。

もしそうだとするなら、即発臨界した燃料棒が微粒子化して拡散したら一体どうなるのか?なんて誰にも分からないだろう。

それに、もし3号機炉内のMOX燃料が再臨界して、格納容器のひびか、配管の隙間か、フタの隙間からか分からないけど、爆発的に「漏れ出た」のだとしてら、それだって前例のないことだろう。

そうなると、空間線量よりも、α線核種の方が問題になる。

さらに、低線量の放射能がじわじわ広がっていく、というのも人類未経験の事態だ。

つまり、政府のチェルノブイリ見解みたいに、簡単には福島と比較できない。

どう考えればいいのだろう?

福島では、例えば2号機爆発、3号機燃料プール即発臨界、4号機爆発、3号機圧力容器内再臨界、こういったことが立て続けに起こって、結構膨大な量の放射性物質が、水素爆発で一気に吹き飛ばされて放射能雲になり、風で流され、雨となってホットスポットに落ちた、と考えるべきなのか?

そうすれば、空間線量が急上昇したのが一時的であることの説明にはなるし、最高値としてチェルノブイリと同じであってもおかしくない。

そしてチェルノブイリの方は、火災が鎮火されるまで、火の粉が降るみたいに、放射性物質が数日間舞い降りて来た、つまり福島の爆発的放出が延々と続いたような感じなのだろうか?

そうなると、やはり福島の土壌汚染はチェルノブイリよりは軽いはずなのだが、そうではない。

土壌汚染レベルが正しいなら、福島の方が、瞬間的な放射性物質の放出量も、総放出量も、チェルノブイリより多いということも考えられる。

ただ、そうなると、瞬間的な空間線量はチェルノブイリよりも高くなるはずだ。

だから、原発敷地内のモニタリングの値を見るしかないし、文科省のサーベイメーターの数値を見るしかないのだが、そこが分からない。

だいたい、20-21日の原発敷地内の放射線量が分からない。それに、文科省が飯館村などで3月20日辺りに測った値など、いくらでも改ざんできるだろう。

つまり、もしかしたら、空間線量というのは、いじってツジツマ合わせることはやり易いと思う。

何となく、チェルノブイリの数値に合わせておくとか、できるだろう。

だから、なおのこと、この土壌汚染の深刻さは、隠しようがないという意味で、福島原発事故の規模を知る上で、動かし難い事実になるのではないだろうか?

「放射能防御プロジェクト」が計測した土壌汚染でも、関東は相当汚染されているから、それに照らすと、文科省の航空機モニタリングは甘いのではないか?という気がしてくる。

おそらく西日本がそれほど汚染されていないのは、風向きのおかげで大部分が海に流れたせいで、それは不幸中の幸いだったんだと思う。

いずれにせよ、福島原発事故の規模がチェルノブイリをすでに超えている可能性もあるわけで、実はそのことについては東電も認識しているようにも見える。

以下の記事にあるように、思わず無意識が(つまり押さえ付けていた本音が)ぽろりと出てしまう場合があるのだ。

福島第1原発:「チェルノブイリ超える」東電担当者が発言 毎日新聞 2011年4月12日 22時34分(最終更新 4月13日 0時11分)

4月12日のレベル7引き上げの直後、会見で保安員が「第1原発の放出量はその1割程度で、チェルノブイリとは相当異なる」と説明。「原子炉そのものが爆発し、29人の死者を出した事故とは全く違う」と強調したのだが、東電の松本純一原子力・立地本部長代理は、

「放出量が(チェルノブイリに)匹敵する、もしくは超えるかもしれない事態を招いたことは申し訳ない」とさらりと述べた。「超えるかもしれない」とした点を記者から何度も指摘され、「放出は現在も止まっておらず、放出量がチェルノブイリに迫ったり超えたりする懸念もある」などと説明した。







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